SSブログ

共感のあるところ [説教全文]

ローマの信徒への手紙512

 

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。(新共同訳)

 

復活の主イエスに出会ってから残りの半生をパウロはキリストの福音を宣べ伝えることに時間を費やします。大きな伝道旅行をキリストの福音を伝えるため古代ローマ帝国が支配する地中海世界で行いました。その伝道旅行の途中で、古代ローマ帝国の首都であるローマにキリスト信徒がいることをパウロは知ったのでした。パウロはローマにいるキリスト信徒に長い手紙を書きました。その手紙は、自己紹介を兼ねて書かれたもので、パウロとローマのキリスト信徒との共通の教典である旧約聖書の物語を手掛かりとして書かれたものでした。パウロは、旧約聖書に登場する人物、ユダヤ教徒にとっては信仰の父として尊敬されていたアブラハムをどう思っているかを語ることによって、ローマのキリスト信徒に自分の立場を明らかにします。アブラハムは行いによる義、正しさではなく、つまり行為義認ではなく、信仰による義、正しさ、つまり信仰義認に生きた人であったというパウロの認識です。

聖書は、現代で言うところの歴史書でも科学の解説書でもありません。聖書は、多くの神話や物語が含まれている信仰告白の書物だと私は思っています。聖書に書かれているのはその時々の人々がどのような状況の中で、神を信じ信仰していったのかが書かれている信仰の告白が集められたものだと思っています。ですから、聖書に書かれていることが実際にあったことだとすると現代の私たちの科学的な常識とは、矛盾することも多く書かれています。

特に旧約聖書の最初の書である創世記の天地創造の物語は、神話です。神がどのような方であるのかを神話という物語を通して古代の人々が言い表した信仰告白の物語が天地創造の物語です。その天地創造の物語で、人間も含めて六日間でこの世界を神は創造され、七日目に休まれました。神はご自身が造られたすべてのもの、それは人間も含めて、を御覧になって極めて良かったと聖書には書かれています。

それから最初の人間として登場するアダムとエヴァの物語が始まります。神は土をこねてアダムを造られ、そのアダムのあばら骨からエヴァを造られました。アダムが住んでいたところはエデンの園と呼ばれていて、アダムがそこを耕し守る仕事を与えられました。人は何不自由なく暮らしていました。だだし、神は人と契約を結んだのでした。それはエデンの園にある善悪の知識の木からは決して食べてはならないというものでした。なぜ神がそのような契約を人間と結ばれたのか。私はこう思います。神は全くの自由を人に与えられたのではなかったのかと思います。神は全能の方ですから、アダムが神に逆らうことなく全くの従順な存在としてお造りになることもできたはずです。しかし、完全な自由をアダムに与えるため、すなわち、神に逆らうこともできる自由を与えるためにそのような禁断の木を置いて契約を結ばれたのではなかったのではないでしょうか。結果として、アダムとエヴァは、神との契約を破り、禁断の木の実を食べたのでした。神の契約を破り、神に逆らうと言うことは、神と同じ立場に立とうとすると言うことです。この神話である創造物語から、人間は、いつの間にか生まれ、そして苦労して人生を生きて、そして死んでいくと言うことが運命づけられたと信仰告白として物語られているのだと思います。

わたしは想像します。古代の人たちは、勿論、進化論という科学の仮説などは知りませんでしたから、薪などを囲んで、子供たちに語り聞かせたのではないかと。子供たちの疑問に答えるように何故人は苦労して働き人生を生きるのか。何故、人は死んだら土にかえって行くのか。人はだれ一人として、自分の運命から逃れることはできません。すなわち、いつの間にか生まれ、苦労して人生を生き、そして、死んでいくという運命から逃れることはできないのです。それは、信仰者であろうと誰であろうと人である限り同じ運命をたどるのです。

しかし、キリストを信じる人には、その運命の先にある希望があるのではないでしょうか。主イエスキリストが復活されたという信仰の先にある希望は、私たちすべての人に与えられている希望だと信じます。

(柴田良和)


<教会ホームページ>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

<説教音声>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。