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詩編40編1節以下 [聖書講座]

詩編40118

 

【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】

主にのみ、わたしは望みをおいていた。

主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。

滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ

わたしの足を岩の上に立たせ

しっかりと歩ませ

わたしの口に新しい歌を

わたしたちの神への賛美を授けてくださった。

人はこぞって主を仰ぎ見

主を畏れ敬い、主に依り頼む。

いかに幸いなことか、主に信頼をおく人

ラハブを信ずる者にくみせず

欺きの教えに従わない人は。

わたしの神、主よ

あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。

あなたに並ぶものはありません。

わたしたちに対する数知れない御計らいを

わたしは語り伝えて行きます。

あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず

焼き尽くす供え物も 

罪の代償の供え物も求めず

ただ、わたしの耳を開いてくださいました。

そこでわたしは申します。

御覧ください、わたしは来ております。

わたしのことは

巻物に記されております。

わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み

あなたの教えを胸に刻み

大いなる集会で正しく良い知らせを伝え

決して唇を閉じません。

主よ、あなたはそれをご存じです。

恵みの御業を心に秘めておくことなく

大いなる集会であなたの真実と救いを語り

慈しみとまことを隠さずに語りました。

主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく

慈しみとまことによって

いつもわたしをお守りください。

悪はわたしにからみつき、数えきれません。

わたしは自分の罪に捕えられ

何も見えなくなりました。

その数は髪の毛よりも多く

わたしは心挫けています。

主よ、走り寄ってわたしを救ってください。

主よ、急いでわたしを助けてください。

わたしの命を奪おうとねらっている者が

恥を受け、嘲られ

わたしを災いに遭わせようと望む者が

侮られて退き

わたしに向かってはやし立てる者が

恥を受けて破滅しますように。

あなたを尋ね求める人が

あなたによって喜び祝い、楽しみ

御救いを愛する人が

主をあがめよといつも歌いますように。

主よ、わたしは貧しく身を屈めています。

わたしのためにお計らいください。

あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。

わたしの神よ、速やかに来てください。

(新共同訳)

 

1節「指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。」聖歌隊が指揮者のタクトによって歌う歌で、ダビデをモデルに歌う歌、神さまを讃美する賛歌です。

2節「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった」。主は詩編に見られるような嘆きの声を聞いてくださる。このような主に詩人は望みを置きます。

34節「わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む」。主は新しい希望の賛美を与えてくださったのです。人はその希望によりすがり、主を仰ぎ見るのです。

5節「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人ラハブを信ずる者にくみせず、欺きの教えに従わない人は」。暴君という言葉はラハブの複数形。暴君に従わず、神の教えに従う者はなんと幸せなことか。

6節「わたしの神、主よ、あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを、わたしは語り伝えて行きます」。詩人の嘆きに対しても、思いがけない不思議な業で応え、助けてくださるのです。詩人はその業を語り継いでいきます。

7節「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、焼き尽くす供え物も、罪の代償の供え物も求めず、ただ、わたしの耳を開いてくださいました」。旧約時代後期は、供え物のいらない礼拝が起こされていきました。真の供え物は、砕かれた心です。

8節「そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは巻物に記されております」。岩波訳聖書では「そのときわたしは言ったーはい、参りました。わたしについて書かれた一巻の書をもって」。

910節「私の神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻み、大いなる集会で正しく良い知らせを伝え、決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです」。神の御心を行うことを詩人は望み、主が自分にしてくださったことを証しすることをやめません。主はそのような詩人のことをご存じです。

1112節「恵みの御業を心に秘めておくことなく、大いなる集会であなたの真実の救いを語り、慈しみとまことを隠さず語りました。主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく、いつもわたしをお守りください」。主を証しすることをやめない詩人。神さまも憐れみの心を閉ざさず、わたしをお守りくださいと懇願します。

1314節「悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕らえられ、何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多く、わたしは心挫けています。主よ、走り寄ってわたしを救ってください。主よ、急いでわたしを助けてください」。多くの罪が詩人にからみつき、苦しい思いをし、心は挫けます。早く助けてほしいと願います。

1516節「わたしの命を奪おうとねらっている者が、恥を受け、嘲られ、わたしを災いに遭わせようと望む者が、侮られて退き、わたしに向かってはやし立てる者が、恥を受けて破滅しますように」。これらの呪いの言葉は、神さまに正直に気持ちを表したものであり、結果は神さまの御手の業に託されているものです。

17節「あなたを尋ね求める人が、あなたによって喜び祝い、楽しみ,御救いを愛する人が、主をあがめよといつも歌いますように」。この詩の結論、さびの部分です。この部分のゆえに、この詩は賛歌であると言えるのです。

18節「主よ、わたしは貧しく身を屈めています。わたしのためにお計らいください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。わたしの神よ、速やかに来てください」。再び、主なる神の助けを乞います。速やかに来てくださいと。

 

(中村尚子)



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詩編39編1節以下 [聖書講座]

詩編39114

 

【指揮者によって。エドトンの詩。

賛歌。ダビデの詩。】

わたしは言いました。

「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。

神に逆らう者が目の前にいる。

わたしの口にくつわをはめておこう。」

わたしは口を閉ざして沈黙し

あまりに黙していたので苦しみがつのり

心は内に熱し、呻いて火と燃えた。

わたしは舌を動かして話し始めた。

「教えてください、主よ、わたしの行く末を

わたしの生涯はどれ程のものか

いかにわたしがはかないものか、悟るように。」

御覧ください、与えられたこの生涯は

僅か、手の幅ほどのもの。

御前には、この人生も無に等しいのです。

ああ、人は確かに立っているようでも

すべて空しいもの。〔セラ

ああ、人はただ影のように移ろうもの。

ああ、人は空しくあくせくし

だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。

主よ、それなら

何に望みをかけたらよいのでしょう。

わたしはあなたを待ち望みます。

あなたに背いたすべての罪からわたしを救い

神を知らぬ者というそしりを

受けないようにしてください。

わたしは黙し、口を開きません。

あなたが計らってくださるでしょう。

わたしをさいなむその御手を放してください。

御手に撃たれてわたしは衰え果てました。

あなたに罪を責められ、懲らしめられて

人の欲望など虫けらのようについえます。

ああ、人は皆、空しい。〔セラ

主よ、わたしの祈りを聞き

助けを求める叫びに耳を傾けてください。

わたしの涙に沈黙していないでください。

わたしは御もとに身を寄せる者

先祖と同じ宿り人。

あなたの目をわたしからそらせ

立ち直らせてください

わたしが去り、失われる前に。

 

1節 「指揮者によって、エドトンの詩、賛歌、ダビデの詩」瀕死の疾患にあって罪を告白し、神に祈りつつも平安を得ずに苦悶しています。ヨブと共通の表現が多く出てきます。エドトンとは、人名としてはダビデ・ソロモンの下で神殿の奏楽者を指揮した人の一人(歴代誌上1章等)あるいは、音楽用語かもしれません。

2節「わたしは言いました。わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう」。神に逆らう者が詩人から神の悪口を引き出そうとするのを、くつわを口にはめて止めようとしています。

34節「わたしは口を閉ざして沈黙し、あまりに黙していたので苦しみがつのり、心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは下を動かして話し始めた」。ヨブのように、黙していたが心が燃え、ついに口火を切って話し始めました。

5節「教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯がどれほどのものか いかにはかないものか、悟るように」瀕死の状態で、神に自分の命のはかなさを尋ねる詩人です。

67節「御覧ください、与えられたこの生涯はわずか、手の幅ほどのもの。御前には、おの人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも、すべてが空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし、誰の手に渡るとも知らずに積み上げる」。人生あくせく働いても、永遠の神の前ではすべてが空しく過ぎ去るものです。人の一生には確かなものはないのです。

810節「主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。あなたに背いたすべての罪からわたしを救い、神を知らぬ者というそしりを受けないようにしてください。わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう」。詩人は神の救いを待ち望みます。犯したすべての罪を赦され、神を知らぬ者というそしりを受けないよう黙しています。すべて神が計らってくださるでしょう。

1112節「わたしをさいなむその御手を放してください。御手に打たれてわたしは衰え果てました。あなたに罪を責められ、懲らしめられて、人の欲望など虫けらのようについえます。ああ、人は皆、空しい」。主の懲らしめの手を放してくださいと詩人は懇願します。主に懲らしめられて、詩人の欲望などまるで虫けらのようについえて消えます。

13節「主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に黙していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者、先祖と同じ宿り人」。神は詩人の涙ながらの祈りを聞いていてくださいます。正直に涙流し祈る祈りに耳を傾けてくださるのです。

14節「あなたの目をわたしからそらせ、立ち直らせてください。わたしが去り、失われる前に」。詩人が生きているうちに、懲らしめの視線をはずし、自由を与えてくださいと詩人は祈ります。

 

(中村尚子)



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詩篇38編1節以下 [聖書講座]

詩篇38123

 

【賛歌。ダビデの詩。記念。】

主よ、怒ってわたしを責めないでください。

憤って懲らしめないでください。

あなたの矢はわたしを射抜き

御手はわたしを押さえつけています。

わたしの肉にはまともなところもありません

あなたが激しく憤られたからです。

骨にも安らぎがありません

わたしが過ちを犯したからです。

わたしの罪悪は頭を越えるほどになり

耐え難い重荷となっています。

負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます

わたしが愚かな行いをしたからです。

わたしは身を屈め、深くうなだれ

一日中、嘆きつつ歩きます。

腰はただれに覆われています。

わたしの肉にはまともなところもありません。

もう立てないほど打ち砕かれ

心は呻き、うなり声をあげるだけです。

わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり

嘆きもあなたには隠されていません。

心は動転し、力はわたしを見捨て

目の光もまた、去りました。

疫病にかかったわたしを

愛する者も友も避けて立ち

わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。

わたしの命をねらう者は罠を仕掛けます。

わたしに災いを望む者は

欺こう、破滅させよう、と決めて

一日中それを口にしています。

わたしの耳は聞こえないかのように

聞こうとしません。

口は話せないかのように、開こうとしません。

わたしは聞くことのできない者

口に抗議する力もない者となりました。

主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。

わたしの主よ、わたしの神よ

御自身でわたしに答えてください。

わたしは願いました

「わたしの足がよろめくことのないように

彼らがそれを喜んで

尊大にふるまうことがないように」と。

わたしは今や、倒れそうになっています。

苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり

わたしは自分の罪悪を言い表そうとして

犯した過ちのゆえに苦悩しています。

わたしの敵は強大になり

わたしを憎む者らは偽りを重ね

善意に悪意をもってこたえます。

わたしは彼らの幸いを願うのに

彼らは敵対するのです。

主よ、わたしを見捨てないでください。

わたしの神よ、遠く離れないでください。

わたしの救い、わたしの主よ

すぐにわたしを助けてください。

 

1節の表題に「記念」と書いてあるのは、素祭(穀物の献げもの)のうち、祭司が燃やして煙にする「記念」という献げ物をするときに歌われる歌、あるいは神の名を呼ぶための歌という意味で献げられる歌の意味があります。

2節「主よ、怒って私を責めないでください。憤って懲らしめないでください」。ダビデがバテシバと犯した罪のことでしょうか。神の怒りを鎮めるためにこう歌い始めます。

34節「あなたの屋はわたしを射抜き、御手はわたしを押さえつけています。わたしの肉にはまともなところもありません。あなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎはありません。わたしが過ちを犯したからです」。神の前に祈るダビデの体はボロボロで、神に痛めつけられているのだと思って助けを求めています。

56節「わたしの罪悪は頭を超えるほどになり、耐え難い重荷となっています。負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます。わたしが愚かな行いをしたからです」。罪の代償に負わされた傷は膿んでひどいことになっています。

79節「わたしは身を屈め、深くうなだれ、一日中嘆きつつ歩きます。腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。もう立てないほど打ち砕かれ、心は呻き、うなり声をあげるだけです」。ヨブのようにダビデは体中をむしばまれ、もう立っていられることもできなくなってしまいました。

1011節「わたしの主よ、私の願いはすべて御前にあり、嘆きもあなたには隠されていません。心は動転し、力はわたしを見捨て、目の光もまた、去りました」。ダビデは自分の絶望を神に包み隠さず訴えます。自分の罪を論じる力ももうなくなっていたのです。

1213節「疫病にかかったわたしを、愛する友も避けて立ち、わたしに近い者も、遠く離れて立ちます。わたしの命をねらう者は罠をしかけます。わたしに災いを望む者は欺こう、破滅させよう、と決めて、一日中それを口にしています」。かつては仲間だった友も、自分から離れていき、自分に災いを望む者が次々罠をしかけて、詩人を呪います。

1415節「わたしの耳は聞こえないかのように聞こうとしません。口は話せないかのように、開こうとしません。わたしは聞くことのできない者、口に抗議する力もない者となりました」。体が弱り、心も弱り果てて頑なになり、神の言葉を聞こうとせず、口は開かず、抗議をすることもできない者となってしまいました。

1617節「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ、御自身で私に答えてください。わたしは願いました。「わたしの足がよろめくことのないように。彼らがそれを喜んで、尊大にふるまうことのないように」と」。神の助けを待ち望む詩人に、神が自ら答えてくださるように願います。詩人を嘲笑う者が、詩人の足がよろめくのを喜んで馬鹿にすることのないように。

1820節「わたしは今や、倒れそうになっています。苦痛を与える者が常にわたしの前にあり、わたしは自分の罪悪を言い表そうとして、犯した過ちのゆえに苦悩しています」。詩人は自分の犯した罪を神に告白しようとして、その重さのゆえにつぶれそうになっています。

2021節「わたしの敵は強大になり、わたしを憎む者らは偽りを重ね、善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに、彼らは敵対するのです」。今や敵の力は強大になり、詩人が敵の幸せを祈っても、詩人を敵対し呪うのです。

2223節「主よ、わたしを見捨てないでください。私の神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ、すぐにわたしを助けてください」。詩人の苦しみは極みに達しています。今すぐ助けてくださいと神に懇願します。

 

(中村尚子)


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詩編37編23節以下 [聖書講座]

詩編372340

 

主は人の一歩一歩を定め

御旨にかなう道を備えてくださる。

人は倒れても、打ち捨てられるのではない。

主がその手をとらえていてくださる。

若いときにも老いた今も、わたしは見ていない

主に従う人が捨てられ/子孫がパンを乞うのを。

生涯、憐れんで貸し与えた人には

祝福がその子孫に及ぶ。

悪を避け、善を行えば

とこしえに、住み続けることができる。

主は正義を愛される。

主の慈しみに生きる人を見捨てることなく

とこしえに見守り

主に逆らう者の子孫を断たれる。

主に従う人は地を継ぎ

いつまでも、そこに住み続ける。

主に従う人は、口に知恵の言葉があり

その舌は正義を語る。

神の教えを心に抱き

よろめくことなく歩む。

主に逆らう者は待ち構えて

主に従う人を殺そうとする。

主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ

罪に定められることをお許しにならない。

主に望みをおき、主の道を守れ。

主はあなたを高く上げて

地を継がせてくださる。

あなたは逆らう者が断たれるのを見るであろう。

主に逆らう者が横暴を極め

野生の木のように勢いよくはびこるのを

わたしは見た。

しかし、時がたてば彼は消えうせ

探しても、見いだすことはできないであろう。

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。

平和な人には未来がある。

背く者はことごとく滅ぼされ

主に逆らう者の未来は断たれる。

主に従う人の救いは主のもとから来る

災いがふりかかるとき

砦となってくださる方のもとから。

主は彼を助け、逃れさせてくださる

主に逆らう者から逃れさせてくださる。

主を避けどころとする人を、主は救ってくださる。

 

先週9日の続きです。

2324節「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」。どのような状況にあったとしても、それは神に見捨てられているのではないのです。神は人を助け起こし、その手でとらえて、一歩一歩、神の御旨をなすために導いてくださるのです。

2526節「若いときにも老いた今も、わたしは見ていない。主に従う人が捨てられ、子孫がパンを乞うのを。生涯、憐れんで貸し与えた人には、祝福がその子孫に及ぶ」。主に従う人は、神に豊かに祝福され、貧しい人々に分かち合う生活をするのだと詩人は言います。

2729節「悪を避け、善を行えば、とこしえに住み続けることができる。主は正義を愛される。主の慈しみに生きる人を見捨てることなく、とこしえに見守り、主に逆らう者の子孫を断たれる。主に従う人は地を継ぎ、いつまでもそこに住み続ける」。主の愛する正義を行う人は皆、主からいただいた嗣業の地を受け継ぎ、そこに住み続けることができます。他人の嗣業の地を奪う者は、戦いによってその地から断たれます。

3031節「主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む」。この詩編37篇は知恵の詩編です。主に従う人は知恵を持ち、正義の言葉を語ります。その人は決してよろめくことはなく、神の教えを抱き、まっすぐに歩みます。

3233節「主に逆らう者は待ち構えて、主に従う人を殺そうとする。主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ、罪に定められることをお許しにならない」。冤罪をかけられ、命を狙われるときにも、主はその人が罪に定められることをお許しになりません。

34節「主に望みを置き、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて、地を継がせてくださる。あなたに逆らう者が断たれるのを見るであろう」。主に望みを置き、主の道を守れ。これが詩人の得た人生最大の知恵です。主に従う人を主は守り、祝福してくださるのだと歌います。そして繰り返し、主に逆らう者は断たれる(陰府にくだる)と語ります。

3536節「主に逆らう者が横暴を極め、野生の木のように勢いよくはびこるのをわたしは見た。しかし、時がたてば彼は消えうせ、探しても見いだすことはできないであろう」。手入れをしないので野にはびこる野生の木のような横暴な主に逆らう者も、いつかは死んで陰府に消え去るのです。

3738節「無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。背く者はことごとく滅ぼされ、主に逆らう者の未来は断たれる」。主をまっすぐに見つめる人の行いは、子孫に受け継がれます。主に逆らう者は、歴史をさかのぼってみる時、その間違いに誰もが気づきます。

3940節「主に従う人の救いは主のもとから来る。災いがふりかかるとき、砦となってくださる方のもとから。主は彼らを助け、逃れさせてくださる。主に逆らう者から逃れさせてくださる。主を避けどころとする人を、主は救ってくださる」。主に信頼する人の助けは主から来ます。災いが来ても主は避けどころとなり、砦となって救ってくださいます。主に逆らう者が襲ってきても、自分の力で仕返しをするのでなく、主の助けを待ち望むことが肝心です。

 

(中村尚子)


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詩編37編1節以下 [聖書講座]

詩編37122

 

【ダビデの詩。】

悪事を謀る者のことでいら立つな。

不正を行う者をうらやむな。

彼らは草のように瞬く間に枯れる。

青草のようにすぐにしおれる。

主に信頼し、善を行え。

この地に住み着き、信仰を糧とせよ。

主に自らをゆだねよ

主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にまかせよ。

信頼せよ、主は計らい

あなたの正しさを光のように

あなたのための裁きを

真昼の光のように輝かせてくださる。

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。

繁栄の道を行く者や

悪だくみをする者のことでいら立つな。

怒りを解き、憤りを捨てよ。

自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。

悪事を謀る者は断たれ

主に望みをおく人は、地を継ぐ。

しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。

彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。

貧しい人は地を継ぎ

豊かな平和に自らをゆだねるであろう。

主に従う人に向かって

主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが

主は彼を笑われる。

彼に定めの日が来るのを見ておられるから。

主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り

貧しい人、乏しい人を倒そうとし

まっすぐに歩む人を屠ろうとするが

その剣はかえって自分の胸を貫き

弓は折れるであろう。

主に従う人が持っている物は僅かでも

主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。

主は御自分に逆らう者の腕を折り

従う人を支えてくださる。

無垢な人の生涯を

主は知っていてくださる。

彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。

災いがふりかかっても、うろたえることなく

飢饉が起こっても飽き足りていられる。

しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる

献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。

主に逆らう者は、借りたものも返さない。

主に従う人は憐れんで施す。

神の祝福を受けた人は地を継ぐ。

神の呪いを受けた者は断たれる。

 

詩編37篇もダビデをモデルとして書かれている詩で、1~2節の区切りでヘブル語のアルファベットを頭に作られている詩です。

12節「悪事を謀る者のことでいらだつな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる」。ダビデに対して悪事を謀った者たちも、草のように瞬く間にうせてしまう。一時の繁栄をうらやむな、と主は言われています。

3節「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ」。これは、心も体も健やかに生きるための、箴言、知恵の言葉です。

46節「主に自らをゆだねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主に任せよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを真昼の水のように輝かせてくださる」。敵が向かってくるときにも、自分で復讐することなく、主にゆだねよ、と知恵は教えます。正しければ光が照らすでしょう。裁きは主のものだからです。

78節「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない」。復讐をして、相手のペースにはまり、自分も悪だくみをすることのないよう、ただ沈黙して主に向かい、主の裁きを待ち焦がれなさいと神さまは言われます。

910節「悪事を謀る者は断たれ、主に望みを置く人は、地を継ぐ。しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている」。旧約聖書時代、死んだ人は地面の下の陰府に下るとされていました。主に逆らう者は陰府に消え去ってしまうものと考えられていました。一方、主に望みを置く人は、祝福され、地を受け継ぐとされていました。

11節「貧しい人は地を継ぎ、豊かな平和に自らをゆだねるであろう」。イエスも言われました。貧しい人々は幸いである、と。本当の豊かさは、争い奪うものではなく、平和に依ってもたらされるものなのです。

1213節「主に従う人に向かって、主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが、主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから」。主に従う人は、主に逆らう者に牙をむかれるが、主はそれを笑い飛ばされるのです。主に逆らう者の滅びる日が来るからです。

1415節「主に逆らう者は剣を抜き、弓を弾き絞り、貧しい人、乏しい人を倒そうとし、まっすぐに歩む人を屠ろうとするが、その剣はかえって自分の胸を貫き、弓は折れるであろう」。貧しい人、乏しい人を迫害する者を、主は裁きをもって倒し、貧しい人々を助けられます。

1617節「主に従う人が持っている物は僅かでも、主に逆らう者、権力のある者の富にまさる。主はご自分に逆らう者の腕を折り、従う人を支えてくださる」。主に従う人は、持っているものが少なくても、それは主に逆らう者が持つ多くのものに勝っているのです。主も貧しいものを常に助けます。

1819節「無垢な人の生涯を、主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう。災いがふりかかっても、うろたえることなく、飢饉が起こっても飽き足りていられる」。主は貧しいけれど無垢な人々のことを、いつも見守っていてくださいます。どんな試練が起こっても、飽き足りて生きることができるよう、無垢な人々は鍛えられています。

2021節「しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる。献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。主に逆らう者は借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す」。

罪を犯すものは悔い改めなければ滅びる。自らが滅びてしまうのです。主の教えに反して、借りたものをそのままにしてしまいますが、主に従う人は貧しい中からも憐れんで施します。

22節「神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる」。神から与えられた嗣業の地を、かっみに従う人は受け継ぐことができます。主に従う人を迫害する人は、地上から絶たれます。

 

(中村尚子)


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詩篇25篇1節以下 [聖書講座]

詩編35116

 

【ダビデの詩。】

主よ、わたしと争う者と争い

わたしと戦う者と戦ってください。

大盾と盾を取り

立ち上がってわたしを助けてください。

わたしに追い迫る者の前に

槍を構えて立ちふさがってください。

どうか、わたしの魂に言ってください

「お前を救おう」と。

わたしの命を奪おうとする者は

恥に落とされ、嘲りを受けますように。

わたしに災いを謀る者は

辱めを受けて退きますように。

風に飛ぶもみ殻となった彼らが

主の使いに追い払われますように。

道を暗闇に閉ざされ、足を滑らせる彼らに

主の使いが追い迫りますように。

彼らは無実なわたしを滅ぼそうと網を張り

わたしの魂を滅ぼそうと落とし穴を掘りました。

どうか、思わぬ時に破滅が臨み

彼らが自ら張った網に掛かり

破滅に落ちますように。

わたしの魂は主によって喜び躍り

御救いを喜び楽しみます。

わたしの骨はことごとく叫びます。

「主よ、あなたに並ぶものはありません。

貧しい人を強い者から

貧しく乏しい人を搾取する者から

助け出してくださいます。」

不法の証人が数多く立ち、わたしを追及しますが

わたしの知らないことばかりです。

彼らはわたしの善意に悪意をもってこたえます。

わたしの魂を滅ぼそうとして、子供を奪いました。

彼らが病にかかっていたとき

わたしは粗布をまとって断食し、魂を苦しめ

胸の内に祈りを繰り返し

彼らの友、彼らの兄弟となり

母の死を悼む子のように嘆きの衣をまとい

うなだれて行き来したのに

わたしが倒れれば彼らは喜び、押し寄せます。

わたしに向かって押し寄せ

わたしの知らないことについてわたしを打ち

とめどもなく引き裂きます。

神を無視する者がわたしを囲んで嘲笑い

わたしに向かって歯をむき出します。

(新共同訳)

 

ダビデをモデルに歌った歌です。

1節「主よ、わたしと争う者と争い、わたしと戦う者と戦ってください」。ダビデの敵、あるいはバビロン捕囚から帰ったあとのイスラエルの敵を想定しているのでしょうか。

2節「大盾と盾を取り、立ち上がってわたしを助けてください」。剣ではなく盾を取るということは、防御するという意味での「助けて」をまず叫びます。

3節「わたしに追い迫る者の前に、槍を構えて立ちふさがってください。どうか、わたしの魂に言ってください。「お前を救おう」と」。槍を構えて、ということから、相手を攻撃することも望んでいます。岩波訳では槍だけでなく、大斧も記されています。

4節「わたしの命を奪おうとする者は、恥に落とされ、嘲りを受けますように。わたしに災いを謀る者は、辱めを受けて退きますように」。岩波訳では「恥じて恥辱をおぼえよ、わが魂をねらう者らは。うしろにしりぞいて恥じ入れ、わが災いを謀る者らは」と訳されています。

5節「風に飛ぶもみ殻となった彼らが、主の使いに追い払われますように」。詩編1篇に神に逆らう者はもみ殻であると書かれています。神に逆らう者は追い払われますようにと願います。

6節「道を暗闇に閉ざされ、足を滑らせる彼らに、主の使いが負い迫りますように」。逆に、主の使いが負い迫りますようにと願っています。

78節「彼らは無実なわたしを滅ぼそうと網を張り、わたしの魂を滅ぼそうと落とし穴を掘りました。どうか、思わぬ時に破滅が臨み、彼らが自ら張った網にかかり、破滅に落ちますように」。罠をしかけている敵が自らその罠にはまりますようにと願っています。

910節「わたしの魂は主によって喜び躍り、御救いを喜び楽しみます。わたしの骨はことごとく叫びます。『主よ、あなたに並ぶものはありません。貧しい人を強い者から、貧しく乏しい人を搾取する者から、助け出してください』」。力で貧しいものをねじ伏せるものたちから、貧しく乏しい者を助け出してくださいと願っています。

1112節「不法の証人が数多く立ち、わたしを追求しますが、わたしの知らないことばかりです。彼らはわたしの善意に悪意をもってこたえます。わたしの魂を滅ぼそうとして、子供を奪いました」。「子どもを奪いました」は岩波訳では「孤独をわが魂に」と訳しています。この孤独の内容とは、すなわち、子供がいないということです。

1314節「彼らが病にかかっていたとき、わたしは粗布をまとって断食し、魂を苦しめ、胸の内に祈りを繰り返し、彼らの友、彼らの兄弟となり、母の死を悼む子のように嘆きの衣をまとい、うなだれて行き来したのに」。詩人は敵が病にかかっていた時、病気回復の祈りのために粗布をかぶって祈っていたのに、友として、兄弟として、病の者のために泣き、行き来していたのに、相手は自分が倒れるのを喜ぶのです。

15節「わたしが倒れれば彼らは喜び、押し寄せます。わたしに向かって押し寄せ、私ンお知らないことについて私を打ち、とめどもなく引き裂きます」。自分が彼らを心配したのと裏腹に、彼らは詩人が倒れると喜んで押し寄せ、無実の罪を着せて打って苦しめるのです。

16節「神を無視する者がわたしを囲んで嘲笑い、わたしに向かって歯をむき出します」。神のことを敬わない人々が詩人を囲んで嘲笑い、歯をむき出して笑うのです。

 

(中村尚子)


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詩編33編1節以下 [聖書講座]

詩編33122

 

主に従う人よ、主によって喜び歌え。

主を賛美することは正しい人にふさわしい。

琴を奏でて主に感謝をささげ

十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。

新しい歌を主に向かってうたい

美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。

主の御言葉は正しく

御業はすべて真実。

主は恵みの業と裁きを愛し

地は主の慈しみに満ちている。

御言葉によって天は造られ

主の口の息吹によって天の万象は造られた。

主は大海の水をせき止め

深淵の水を倉に納められた。

全地は主を畏れ

世界に住むものは皆、主におののく。

主が仰せになると、そのように成り

主が命じられると、そのように立つ。

主は国々の計らいを砕き

諸国の民の企てを挫かれる。

主の企てはとこしえに立ち

御心の計らいは代々に続く。

いかに幸いなことか

主を神とする国

主が嗣業として選ばれた民は。

主は天から見渡し

人の子らをひとりひとり御覧になり

御座を置かれた所から

地に住むすべての人に目を留められる。

人の心をすべて造られた主は

彼らの業をことごとく見分けられる。

王の勝利は兵の数によらず

勇士を救うのも力の強さではない。

馬は勝利をもたらすものとはならず

兵の数によって救われるのでもない。

見よ、主は御目を注がれる

主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。

彼らの魂を死から救い

飢えから救い、命を得させてくださる。

我らの魂は主を待つ。

主は我らの助け、我らの盾。

我らの心は喜び

聖なる御名に依り頼む。

主よ、あなたの慈しみが

我らの上にあるように

主を待ち望む我らの上に。

(新共同訳)

 

1節「主に従う人よ、主に依って喜び歌え。主に賛美することは正しい人にふさわしい」。 岩波訳聖書では「歓呼せよ、義人たち、ヤハウエを。直き者たちには讃美がふさわしい」と訳されています。正しい者の口から出るのは賛美であるべきだと詩人は歌います。

2節「琴を奏でて主に感謝をささげ、十弦のことを奏でてほめ歌をうたえ」。ここでいう最初の琴と、後に出てくる琴のスタイルは違います。最初の琴は横置きの琴、後の琴は竪琴、ダビデの得意とした楽器です。

3節「新しい歌を主に向かってうたい、美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ」。詩編は主に向かってささげる新しい歌の歌集です。「美しい調べ…」のところは、岩波訳では「巧みに弦を奏でよ、凱歌のうちに」と訳されています。

4節「主の御言葉は正しく、御業はすべて真実」。「真実」という言葉は、岩波訳では「信実」と訳されています。普段あまり使わない言葉ですが、信じるに値するものという意味なのでしょう。

5節「主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみで満ちている」。「裁き」というのは、悪い者を罰することだけでなく、義人を義とする判定でもあります。主は慈しみの神。正しいものを義とする慈しみでこの世は満ちています。

6~7節「御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた」。神の息吹はヘブル語でルーアッハ、命という意味もあります。すべてのものの命は神の息吹によって造られたんおです。神は大海をせき止め、海の淵を深いところに倉に入れるように納められました。

8節「全地は主を畏れ、世界に住むものは皆、主におののく」。岩波訳聖書では、「全地はヤハウエを畏れよ」と命令形で書かれています。

9節「主が仰せになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ」。この世界は主のものであり、主の御心のとおりにすべてが動いているのです。

10節「主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる」。この世界は万軍の主の御心のもとにあり、その御心にそむく計らいを、主はつぶされます。

11節「主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く」。わたしたちの計画が成らなくとも、神の御心はその歴史を通じてとこしえに立ち、やがて形となるのです。

12節「いかに幸いなことか、主を神とする国、主が嗣業として選ばれた民は」。ここで不思議なのは、イスラエルだけが主の嗣業とした国という発想から外れていることです。この詩が書かれたときすでに、イスラエル以外の国の人の救いも認められていたのではないでしょうか。

1314節「主は天から見渡し、人の子らを一人一人ご覧になり、御座を置かれた所から、地に住むすべての人を目に留められる」。岩波訳では『一人一人』ではなく「すべてを見た」と訳されています。主は天の御座から、この世のすべてをご覧になり、目に留めるのです。

15節「人の心をすべて造られた主は、彼らの業をことごとく見分けられる」。神はご自分の造られた人の心によって、その業の良し悪しをことごとく見分けます。

1617節「王の勝利は民の数によらず、勇士を救うのも力を強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるものでもない」。岩波訳では「王は兵力の多さでは救われず、勇士は力の多さでは救われない。馬は救済には見掛け倒し、その力の大きさで(乗り手を)逃れさせはしない」。要するに、兵や馬の多さで戦に勝つものでもないということを言っています。

1819節「見よ、主は御目を注がれる。主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。彼らの魂を死から救い、餓えから救い、命を得させてくださる」。イザヤも言っているように、主を待ち望む者は新たに力を受けてのぼります。主は主を待ち望む者の命を救ってくださるからです。

2022節「我らの魂は主を待つ。主はわれらの助け、我らの盾。われらの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。主よ、あなたの慈しみがわれらの上にあるように、主を待ち望むわれらの上に」。主を待ち望むわれらの上に、主の慈しみがありますように。主の慈しみが注がれることで、われらの心が喜び、聖なる御名に依り頼むのです。

 

(中村尚子)


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詩編32編1節以下 [聖書講座]

詩編32111

 

【ダビデの詩。マスキール。】

いかに幸いなことでしょう

背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

いかに幸いなことでしょう

主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

わたしは黙し続けて

絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。

御手は昼も夜もわたしの上に重く

わたしの力は

夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ

わたしは罪をあなたに示し

咎を隠しませんでした。

わたしは言いました

「主にわたしの背きを告白しよう」と。

そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを

赦してくださいました。〔セラ

あなたの慈しみに生きる人は皆

あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。

大水が溢れ流れるときにも

その人に及ぶことは決してありません。

あなたはわたしの隠れが。

苦難から守ってくださる方。

救いの喜びをもって

わたしを囲んでくださる方。〔セラ

わたしはあなたを目覚めさせ

行くべき道を教えよう。

あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。

分別のない馬やらばのようにふるまうな。

それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。

そのようなものをあなたに近づけるな。

神に逆らう者は悩みが多く

主に信頼する者は慈しみに囲まれる。

神に従う人よ、主によって喜び躍れ。

すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

(新共同訳)

 

ダビデをモデルにした歌で、マスキールとは教訓詩という意味があります。1節「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」。背きを赦され、と言う言葉は岩波訳聖書では「不義を取り除かれ」と訳されています。罪の赦しをいただいた者はなんと幸いか、歌っています。

2節「いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は」。咎とは、罪、不義、罪悪、悪意、悪事のこと。神に対して深い負い目があり、神に見捨てられたと思う心。そういったものがなく、心に嘘のない人は幸いであると歌います。

3節「わたしは黙し続けた。絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました」。口を開くと、文句を言ってしまいそうな状況の中で、黙し続け、口にする言葉がなく呻き続け、骨まで朽ち果ててしまうような苦しみに、詩人はあっています。

4節「御手は昼も夜も私の上に重く、わたしの力は、夏の日照りにあって衰え果てました」。神さまのことが常に重くのしかかり、詩人の力は、夏の日照り(イスラエルの夏は40度を超える暑さになることもある)で衰え果ててしまいました。

5節「わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました。「主にわたしの背きを告白しよう。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました」。自分の罪を隠さず示し、咎を示し、主に背きを告白する者は、神に罪・過ちを赦されます。

6節「あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見出しうる間にあなたに祈ります。大水があふれ流れる時にも、その人に及ぶことは決してありません」。ノアの箱舟の物語のように、神さまの慈しみに生きる人は、大水があふれ流れても、流されてしまうことはありません。

7節「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方」。主よあなたはわが隠れが。苦しみから守り、救いの喜びでわたしを取り囲まれる方。わたしを守ってくださる方なのです。

8節「わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう」。神さまはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えます。あなたの上に目を注ぎ、知恵の言葉(勧めの言葉)を与えようと言われます。

9節「分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな」。暴れ馬やらば(ろばと馬の掛け合わせ)のようにふるまってはならない。そういうものは口輪と手綱で動きを制御しなければならないのです。馬やらばのような人をあなたに近づけるな、と主は言われます。

10節「神に逆らう者は悩みが多く、主に信頼する者は慈しみに囲まれる」。神の声に聴き従わず、自分で何とかしようと思う者は悩みが多く、逆に主に信頼する者は主の慈しみによって囲まれるのです。

11節「神に従う人よ、主によって喜び踊れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ」。主に従うことこそ、人生に勝利すること、そして正しいことです。心の正しい人よ、喜びの声を上げて歌え、と詩人はのべて歌をしめくくります。

 

(中村尚子)


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詩編31編15節以下 [聖書講座]

詩編311525

 

主よ、わたしはなお、あなたに信頼し

「あなたこそわたしの神」と申します。

わたしにふさわしいときに、御手をもって

追い迫る者、敵の手から助け出してください。

あなたの僕に御顔の光を注ぎ

慈しみ深く、わたしをお救いください。

主よ、あなたを呼びます。

わたしを恥に落とすことなく

神に逆らう者をこそ恥に落とし

陰府に落とし、黙らせてください。

偽って語る唇を封じてください

正しい人を侮り、驕り高ぶって語る唇を。

御恵みはいかに豊かなことでしょう。

あなたを畏れる人のためにそれを蓄え

人の子らの目の前で

あなたに身を寄せる人に、お与えになります。

御もとに彼らをかくまって

人間の謀から守ってくださいます。

仮庵の中に隠し

争いを挑む舌を免れさせてくださいます。

主をたたえよ。

主は驚くべき慈しみの御業を

都が包囲されたとき、示してくださいました。

恐怖に襲われて、わたしは言いました

「御目の前から断たれた」と。

それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを

嘆き祈るわたしの声を

あなたは聞いてくださいました。

主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。

主は信仰ある人を守り

傲慢な者には厳しく報いられる。

雄々しくあれ、心を強くせよ

主を待ち望む人はすべて。

(新共同訳)

 

詩編31篇の続きです。15節「主よ、わたしはなお、あなたに信頼し、『あなたこそわたしの神』と申します。筆者は危機の時でも神に依り頼み、「あなたこそわたしの神」と固く信頼します。

16節『わたしにふさわしいときに、御手をもtって、追い迫る者、敵の手から助け出してください』。「すぐに」ではなく、ふさわしいときに敵から助け出してくださいと祈るのが、詩人の信仰です。

17節「あなたの僕に御顔の光を注ぎ、慈しみ深く、わたしをお救いください」。詩人の救いは、神の御顔の光に照らされること、慈しみ深く扱われることです。

18節「主よ、あなたを呼びます。わたしを恥に落とすことなく、神にさからう者をこそ恥に落とし、陰府に落とし、黙らせてください」。バビロン捕囚から帰ったイスラエルの民を待っていたのは、神に逆らう周辺諸国の民でした。彼らは刀をもって襲ってきます。詩人を恥におとすことなく、神に逆らう者こそ陰府に落としてくださいと祈ります。旧約時代の敵の扱い方の限界がここに見えます。

19節「偽って語る者の唇を封じてください。正しい人を侮り、驕り高ぶって語る唇を」。岩波訳では「封じられよ、唇を」という呪いの言葉になっています。神に祈っているのではありません。詩人が偽り語る者を呪うのです。

20節「御恵みはいかに豊かなことでしょう。あなたを畏れる人のためにそれを蓄え、人の子らの目の前で、あなたに身を寄せる人にお与えになります」。神の御恵みは、神を畏れ、神に身を寄せる人に与えられると詩人は歌います。

21節「御もとに彼らをかくまって、人間の謀から守ってくださいます。仮庵の中に隠し、争いを挑む舌を免れさせてくださいます」。神は身元に身を寄せる人々をかくまい、人間の陰謀から救い出し、仮庵の中に隠して、口論をしかけるものから救い出してくださいます。

22節「主をたたえよ。主は驚くべき慈しみの御業を、都が包囲されたとき、示してくださいました」。バビロニアに包囲された時、神はいつまでもバビロニアに支配されうことがないと預言者を通じて示されました。

23節「恐怖に襲われて、わたしは言いました。『御目の前から絶たれた』と。それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを、嘆き祈るわたしの声を、あなたは聞いてくださいました」。バビロニアの砲撃は恐ろしく、「神さまに見捨てられた」と思わず叫んでしまうものでした。しかし、神は助けを求める詩人の声を聞いてくださったのです。

24節「主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り、傲慢な者には厳しく報いられる」。主の慈しみをいただいて生きる者は、神を固く信じ、神を愛して生きなさいと詩人は歌います。神に対して傲慢な者には、神は厳しく摂しられます。

25節「雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望む人はすべて」。雄々しくあれというのは、男性だけに言っているのではありません。すべての主を待ち望む人に対して言っています。

 

(中村尚子)


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詩編31編10節以下 [聖書講座]

詩編311014

 

主よ、憐れんでください

わたしは苦しんでいます。

目も、魂も、はらわたも

苦悩のゆえに衰えていきます。

命は嘆きのうちに

年月は呻きのうちに尽きていきます。

罪のゆえに力はうせ/骨は衰えていきます。

わたしの敵は皆、わたしを嘲り

隣人も、激しく嘲ります。

親しい人々はわたしを見て恐れを抱き

外で会えば避けて通ります。

人の心はわたしを死者のように葬り去り

壊れた器と見なします。

ひそかな声が周囲に聞こえ

脅かすものが取り囲んでいます。

人々がわたしに対して陰謀をめぐらし

命を奪おうとたくらんでいます。

 

31篇の続きです。10節 「主よ、憐れんでください。私は苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも、苦悩のゆえに衰えていきます」。筆者の苦しみは、心だけでなく、体の健康も襲うものでした。特にはらわたは、心の働きとつながったものであると思われていました。この苦悩を、主よ、憐れんでくださいと願います。

11節「命は嘆きのうちに、年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ、骨は衰えていきます」。与えられた命は、そして年月は、苦しみ呻いているうちに尽きていきます。自分の罪のゆえに力はうせていき、骨は衰えていきます。哀しみの内に年をとっていくのです。

12節「わたしの敵は皆、わたしを嘲り、隣人も激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き、外で会えば避けて通ります」。まるでヨブのように詩人は嘲られ、親しい人々も近づかなくなり、外で会えば避けて通るほどです。詩人は孤独の中、呻いて生きています。

13節「人の心はわたしを死者のように葬り去り、壊れた器と見なします」。人々は詩人を死んだ者として葬り去り、すでに壊れて用をなさない器と見なすのです。

14節「ひそかな声が周囲に聞こえ、脅かすものが取り囲んでいます。人々がわたしに対して陰謀をめぐらし、命を奪おうとたくらんでいます」。イエスが人々のたくらみにより命を奪われた、その様子を思い浮かべます。神に憐れみを乞い、その杯を取り除けてくださいと祈るイエスの祈りと重なります。

イエスは神さまに「憐れんでください」と素直に祈ることをよしとされました。苦しみ、悲しみを素直に神に打ち明けることがわたしたちには許されているのです。

 

(中村尚子)


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