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不信心な者のために [説教全文]

ローマの信徒への手紙56

 

実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。(新共同訳)

 

ローマの信徒への手紙を書いたパウロは、地中海世界を支配する古代ローマ帝国の首都であるローマにキリスト信徒がいることを知りました。新約聖書に載っているほとんどの手紙は、パウロが訪れたことのあるキリスト信徒に宛てて書かれたものです。しかし、ローマの信徒の宛先人であるローマのキリスト信徒は、まだ顔と顔を合わせて会ったことのない人たちでした。パウロは、自己紹介を兼ねて長い手紙をローマのキリスト信徒に手紙を書いたのでした。ローマのキリスト信徒の中には、ユダヤ教徒であったキリスト信徒もいれば、ユダヤ教徒でなかったキリスト信徒もいました。ユダヤ人キリスト信徒と異邦人キリスト信徒です。

古代の宗教では、神々の怒りを宥めるため動物を犠牲として神々にささげるというのが一般的でした。ギリシアやローマでも例外ではなく祭りなどで動物犠牲が行われていました。日本でも有名なところでは、京都の祇園祭と言う祭りが行われています。疫病や自然災害など人々に不幸をもたらすのは、恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていたようです。そのように古代の人々は、自分たちに説明がつかない不幸な出来事が起こるのは、神々の怒りや死者の怨霊のせいだと思っていたようです。

犠牲、特に動物犠牲が行われたのは、ユダヤ教でも事情は同じでした。ユダヤ教では、神との契約である律法という法律があり、その法律違反に対して、神の怒りを宥めるために動物犠牲が行われていました。パウロは、ユダヤ教徒であり、厳格に律法を守ろうとして生きた人でした。有名な律法学者から律法を青年の頃学び実践していた人でもありました。それゆえ、律法に関して厳格に守っていなかったキリスト信徒がゆるせなかったのでしょう。キリスト信徒を迫害した人でもありました。

イエスが十字架に架かられて死なれた時、イエスと親しかった弟子たち、仲間たちはなぜイエスが死ななければならなかったのかを繰り返し、くり返し考え続けたのだと思います。不幸な出来事が起こるとき、特に死を伴う不幸な出来事が起こるとき、人々はなぜこのようなことが起こるのかを繰り返し思い返すのではないでしょうか。イエスの弟子たち、仲間たちも同じようになぜあのように親しく共に生きて下さったイエスが死なれたのか、死を味わわれたのかを繰り返し思いめぐらしたのだと思います。

現代の科学をもってしても、生物学的にまた医学的に死のメカニズムは解明されてきていますが、死そのものなぜ死なねばならないのかは、科学では解明されていません。しかも、イエスは古代ローマ帝国の刑罰である十字架刑によって殺害されたのでした。その残酷で悲惨な出来事は、イエスの弟子たち仲間たちの脳裏に焼き付いて離れなかったのだろうと思います。そして、イエスの弟子たち仲間たちは、イエスがどのように生きられたのかを思いめぐらし、イエスが人々にどのように振舞われたのかを思い起こしたのだと思います。すなわち、イエスは、この世で罪人とされた人たち、弱くされていた人たち、小さくされていた人たちと共に生きられ、それゆえ、世の権力者たちに迫害され、殺害されたのだと。

イエスが逮捕され、十字架に架かられるときおそれおののいて逃げ出したほどに弱かった弟子たちでした。そのような弟子たち仲間たちが、イエスが死に至るまで自分たちの味方であり、自分たちの心砕かれたことを思い起こしたのだと思います。主イエスの十字架は、私たちの弱さと共に、弱さを繰り返し思い起こすために今も世界中に立っています。それと同時に、私たちの弱さをゆるす神のわたしたちを大切に思われる思いが現わされているのだと思います。

パロは言います。「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(ローマの信徒への手紙611節)

また、次のようにもパウロは言います。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリントの信徒への手紙二 1210節)。

(柴田良和)


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心に注がれている [説教全文]

ローマの信徒への手紙55

 

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(新共同訳)

 

イエス・キリストは、神によって復活させられたとパウロは語ります(ローマの信徒への手紙424節)。勿論、パウロはイエス・キリストが神によって復活させられたことを信じていたから言えた言葉です。現代人の常識からずれば、死んだ人がよみがえるなどと言うことは、フィクションの世界、作り話の事柄だと思えます。イエスが十字架に架かられ死なれた後、イエスと共に活動し、生活していた弟子たち、仲間たちは、イエスが死なれたことによってすべてが終わったと思っていました。しかし、その後、一人、また一人とイエスが復活されたことを証言し始めました。新約聖書の福音書にはイエスが復活されたことが書かれていますが、パウロも次のように言っています。「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。・・・最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。・・・次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(コリントの信徒への手紙一151節以下)。

パウロ自身は、ユダヤ教徒でした。しかも厳格な教育を受けたユダヤ教徒でした。それゆえ、どこか律法を軽視しているとみられたキリスト信徒のあり方に我慢がならずにいたのでしょう。キリスト信徒を迫害していました。イスラエルの首都であるエルサレムにいたキリスト信徒ばかりでなく、エルサレムから迫害を逃れイスラエル中に散らばって行ったキリスト信徒を追いかけたのでした。しかし、迫害から逃れていったキリスト信徒を追いかけている途中で復活のイエスに出会ったのでした。

パウロが生きていた当時のユダヤ教では、死人がよみがえる、復活すると言うことに関して論争があったようです。当時のユダヤ教では、エルサレム神殿を拠点とする貴族階級のサドカイ派と言われる派閥といわば民衆運動から始まったファリサイ派と言われる派閥がありました。サドカイ派の人たちは復活を信じませんでしたが、ファリサイ派の人たちは復活を信じていました。パウロは、ファリサイ派の教育を受けた人だったので疑いようもなく、死人のよみがえり、復活を信じていたのだと思います。

復活のイエスに出会ってからパウロは、キリスト信徒になり、キリストの福音を伝えるため、古代ローマ帝国が支配していた地中海世界で大きな伝道旅行をしました。その伝道旅行の途中で、イエスの復活のこと、すなわちキリストの福音を語り続けましたが、その土地、土地の人々に福音を受け入れてもらうのには苦労したのだと思います。

現代の私たち自身も死んだ後どうなるのかは分かりません。目に見えるはっきりとした証拠がない限り、しかも科学的な証拠がない限り死人の復活と言うことは作り話の世界になってしまいます。ですが、だからと言って自分自身の死、人間が死ぬと言う問題が解決されるわけではありません。

しかし、宗教の世界、信仰の世界では人間の死についてどう考えるかの知恵が語られています。そして、キリスト教では、自分自身が死んだ後、復活するという希望が語られているのです。そして、それは、イエスが神によって復活させられたと言うことを信じるかどうかと言う信仰にかかっているのです。

死んでしまったらそれでお仕舞というのではなく、復活させられるのだという信仰に立って希望を持つ時、今の生き方、日々の生活が変わって来るのではないでしょうか。

最後に聖書の個所を一か所お読みします。パウロの言葉です。「つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマの信徒への手紙821節以下)。

(柴田良和)


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希望を生む [説教全文]

ローマの信徒への手紙534

 

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(新共同訳)

 

ローマの信徒への手紙を書いたパウロは、アブラハムをどう思っているかと言うことを語りました。最初期のキリスト信徒の教典は、旧約聖書でした。その中で物語れているアブラハムは、重要な人物でした。キリスト教の土台となっているユダヤ教の信者にとって、アブラハムは、信仰の父と呼ぶほど尊敬していた人物でした。アブラハムがどのような人生を送っていたのかは書かれていません。ある日、突然、神の方からアブラハムに語りかけがありました。それは、アブラハムの子孫が反映するという祝福の約束でした。この時のアブラハムにとって、現実には年老いており、妻のサラも子供が生まれるような状況ではありませんでした。現実的な状況からすれば、子孫が繫栄するなどと言うことは全く不可能な事でした。にもかかわらず、アブラハムは、子孫が繁栄するという神の祝福の約束を信じたのでした。そのようなアブラハムの信仰を神は正しいことすなわち義とされたのでした。

現実には不可能と思えることを可能な事とされる神を信じる信仰、アブラハムの信仰をローマのキリスト信徒の人たちに語ることによって、パウロ自身の信仰がどのようなものであるかをローマのキリスト信徒に自己紹介します。そして、パウロは現実には不可能と思えることを可能とされる神への信仰に基づいて、主イエス・キリストが、神によって復活されたことを信じる信仰によって正しいものとされる、義と認められるということを語ります。「イエスは、・・・わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ローマの信徒への手紙425節)とパウロは語ります。

しかし、パウロは大きな伝道旅行を三回に渡ってしていますが、主イエスの復活ついて語ることに関しては苦労をしていたことが、報告されています。使徒言行録には次のような報告がされています。ギリシアの都市であるアテネという町でパウロが福音を語っていた時の事です。「また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々を宣伝する者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、説明してもらえないか。奇妙なことを私たちに聞かせているが、それが一体どんなものなのか、知りたいのだ。」・・・死者の復活ということを聞くと、ある者は嘲笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。」(使徒言行録1718節以下)。パウロが主イエスの復活について語った時、どれほどの苦労があったのかを知ることができる記事です。

わたしたちの人生の歩みの中では、苦労や苦難、患難がつきものです。神を信じているから、キリストを信じているから、わたしたちには苦難が襲いかかってくることはないとは言えないのが現実です。人が人として生きている限り必ず苦難に会うのです。しかし、今日の個所で、パウロは「苦難をも誇りとする」と言います。人生において苦難などないほうが良いに決まっています。ましてや普通の人間では、苦難を誇りに思うなどとはとてもできそうにありません。しかし、ここでパウロが言わんとしていることは、いわゆる逆説的に言っているのだと思います。逆説とは、「急がば回れ」というような言葉です。聖書では、「泣いている者は幸いである」というような言葉です。

「苦難をも誇りとする」という逆説を語ることでパウロは言葉を終わりません。私たちが苦難に会っても人生を決してあきらめないその先に苦難が苦難で終わらない希望があることもまたパウロは語っています。

今日の個所をもう一度お読みします。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」

(柴田良和)


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平和と希望 [説教全文]

ローマの信徒への手紙512

 

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。(新共同訳)

 

ローマの信徒への手紙を書いたパウロは、大きな伝道旅行を三回に渡って行いました。パウロが伝道旅行をしたのは、古代ローマ帝国が支配する地中海世界でした。古代ローマ帝国の支配する地域はギリシア文化が中心でした。ギリシア文化は、宗教においてはギリシア神話を中心とする多くの神々が信仰されている多神教の世界でした。パウロが伝道旅行をしてキリストの福音を伝えようとした町々には、それこそ様々な神々が信仰されていました。そして、その宗教行事の中心は供儀、神にささげ物をする宗教儀式でした。その中に動物供儀があり、牛や豚、羊や山羊といった動物が神にささげられ儀式が行われていました。動物供儀の儀式が行われると、いわゆる祭りであるわけですが、地域の住民がその犠牲となった動物の肉を分けて食べたのでした。そして、余った肉は市場などに卸され売られていたのでした。

ユダヤ教もその古い歴史の間で動物供儀が行われていました。旧約聖書のモーセ五書、すなわち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記などを読むとその詳しいことが分かります。イエスの時代になるとその動物供儀は、エルサレム神殿で行われていました。しかし、そのエルサレム神殿は、紀元後70年代に古代ローマ帝国によって破壊され、以後ユダヤ教徒は、動物供儀を行わなくなりました。

キリスト信徒もその最初期から動物供儀を行いませんでした。当時の地中海世界では、宗教と言えば動物供儀でしたから、動物供儀を行わないキリスト信徒の信じる宗教は、地中海世界の一般の人々から迷信と言われていたようです。

さて、古代ローマ帝国の首都であるローマもギリシア文化、ローマ文化の下にあり、様々な神々が信じられており、その神々に動物がささげられていました。そして、その動物の肉の一部が市場に卸されたものを買って食べるかどうかで、ローマのキリスト信徒の間でもめ事があったことが、ローマの信徒への手紙の11章以下で読み取れます。ローマのキリスト信徒の中には、ユダヤ教徒のキリスト信徒とユダヤ教徒以外のキリスト信徒、ローマ人やギリシア人その他の異邦人と呼ばれていた人々がいました。ユダヤ教徒は、偶像崇拝につながる神々にささげられ市場に卸された肉を食べることはしませんでしたが、異邦人は、気にせずに食べていたものだと思われます。そのような生活習慣の違いからユダヤ人キリスト信徒と異邦人キリスト信徒の間で、もめ事が起こっていたものと考えられます。

そのようなローマのキリスト信徒の集まりに対してパウロは書き送ります。「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。・・・食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。」(ローマの信徒への手紙14 3節以下)。同じ神を信仰する者同士にもめ事が起こることを主イエス・キリストは決してよろこばれないのだと思います。

今日ほど、世界を見わたせば平和の問題が問題となっている時はないのではないでしょうか。毎日のニュースを見聞きしていれば明らかです。平和のないところでは、弱い者、小さくされている人々が毎日のように犠牲となっています。

パウロは言います。信仰によって神により義とされているキリスト信徒は「主イエス・キリストによって神との間に平和を得て」いる。その平和が世界中の人々に届くようにと祈るばかりです。そして、いつの日かあらゆる違い、文化や宗教を乗り越えて、世界中の人々が手を取り合って喜び合える日を待ち望んでいく希望が主イエス・キリストによって与えられていることに信頼してまいりたいと思います。

(柴田良和)


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