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恵みが満ちあふれる [説教全文]

ローマの信徒への手紙520

 

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。(新共同訳)

 

パウロは、フィリピの信徒への手紙で次のように自己紹介をしています。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」(フィリピの信徒への手紙35節以下)。「律法の義については非のうちどころのない者でした。」とパウロ自身が言っているようにパウロがキリスト信徒を迫害した理由の一つは、キリスト信徒が律法に関して無頓着なところがあったことだと言われています。

そもそもユダヤ教徒にとって、その信仰の中心であったと言えます。旧約聖書(現代のキリスト教徒は、ヘブル語聖書と呼ぶようになってきていますが)の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、キリスト教ではモーセ五書と呼んでいますが、ユダヤ教は律法と呼んでいます。律法は、旧約聖書で伝説の人であるモーセによって神から与えられた宗教的法律です。エジプトで奴隷状態にあったイスラエル人を率いてエジプトを脱出した時の指導者がモーセです。神がモーセに啓示を与え約束の地までの旅の途中で神がモーセに啓示されたというのが律法です。律法には、厳しい荒野での旅の途中で、イスラエルの人々が助け合って生きて行くための様々な宗教的規定が書かれています。その中でも特に重要だとされたのが十戒と言われるものです。この十戒は、現代のキリスト教でも主の祈り、使徒信条と並んで大切な戒めとして読まれています。

パウロが手紙を書き送ったローマのキリスト信徒の中にもユダヤ教徒はいました。伝統的に慣習として律法の規定を守ろうとした人たちがいたのだと思われます。しかし、そのような律法の慣習を持たない異邦人キリスト信徒もいました。律法の慣習を持っていたユダヤ教キリスト信徒と異邦人キリスト信徒の間に仲たがいが起こっていたのかも知れません。

今日の個所で、パウロが律法をどう思っているかを語っています。パウロの基本的な考えは、「・・・律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」(フィリピの信徒への手紙36節以下)というものでした。

パウロは律法によって正しく生きようとしました。しかし、正しく生きようとすればするほど正しく生きることのできない自分に気づかされたのもパウロだったのだと思います。「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。」(ローマの信徒への手紙718節以下)。

自分の力で正しくあろうとすることに破綻するのが人間の現実だと思います。パウロ流に言えば、「律法から生じる自分の義」と言うことになるでしょうか。それに対して、神にすべてゆだね、キリストへの信仰に生きることによって自分の力で正しくあろうとすることから解放されるのです。パウロ流に言えば、「キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義」と言うことになるでしょうか。

神にすべてゆだねる、キリストへの信仰に生きるそのことによって自分の力で正しく生きようとすると言うことから私たちは解放されていくのだと信じます。そこにキリストの恵みが満ち溢れているのです。

(柴田良和)


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従順 [説教全文]

ローマの信徒への手紙519

 

一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

 

パウロは、信仰を共にしているローマのキリスト信徒に手紙を書き送りました。それは、お互いが持っている信仰を確かめ合って励まし合いたいがためでした。その信仰の中心は、言うまでもなくキリストをどう思っているかでした。パウロはそれまでの伝道旅行で、地中海世界の各地の町々でキリストの福音を宣べ伝えた人でした。様々な言葉を使って福音を語り続けました。

福音と言う言葉は、エバンゲリオンというギリシャ語ですが、差し当たっての意味は喜ばしき訪れという意味です。戦争などが終わったことを伝える時に使われた言葉であったと言われています。戦争が終わり、平和になったその喜ばしい訪れのことを福音と言う言葉で表現したと言うことです。

人類の歴史が始まって以来、小さな紛争を含めて戦争がなかった時代はなかったと言われています。現代の世界でも様々なところで紛争は起こっています。私たちに本にも頻繁にニュースなどで伝えられているウクライナやパレスティナ紛争があります。戦争でいつも犠牲になるのは、勿論多くの兵士も犠牲になりますが、特に犠牲になるのは子供や女性、老人と言った弱い人たちです。そのような地域にキリストの福音が届きますようにと祈っていきたいと思います。

パウロはローマのキリスト信徒の人たちにキリストをどう思っているかを語りました。今日の個所で、「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされ」という「一人の人」というのは、この箇所までの話の流れから、旧約聖書、ローマのキリスト信徒も読んでいたのであろう旧約聖書の神話的物語である神に造られた最初の人であるアダムのことです。そして、「一人の従順によって多くの人が正しい者とされ」という「一人の従順」というこの一人というのはキリストのことです。

パウロは、ローマの信徒への手紙と別の手紙の中で、キリストのことを次のように言っています。「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わずかえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。/人間の姿で現れへりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。」(フィリピの信徒への手紙26節以下)。この聖書の個所は、いわゆるキリスト賛歌と言われることのあるフィリピの信徒への手紙に書かれている聖書の個所の一部です。パウロは、キリストのことを「死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。」と語ることによってキリストがどのような方であるのかを信仰告白します。

ここで言われている「十字架の死に至るまで/従順でした。」との文章の従順とは何でしょうか。それは、神に対する従順であったと言うことだと思います。命を慈しみ、人間が生きることを喜ばれる神、その神に従順であること、しかし、その従順であるがためにこの世で苦難を受け、十字架に架かられたのがキリストであるとパウロは言いたかったのであろうと思います。

日々の生活の中で平穏無事であろうとするのが人情だろうと思います。しかし、人の世はそう簡単にはいかない所があります。様々な争いごとが起こり、人々が傷つき、疲れ果てるような出来事が起こるのも人の世の常です。またそれだけでなく、病気になり、やがては死という運命にあるのも人の世の常です。そのような人の世の現実に対してキリストの福音は語られているのです。

ヨハネによる福音書では次のようにキリストを信仰告白しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書316節以下)

人が人である限り、一人の人に起こったことは誰にでも起こることです。一人の人であるアダムの神に対する不従順によって人の世に死が入り込んだように、一人の人であるキリストによって命が人の世、すべての人にもたらされたのです。

(柴田良和)


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命を得る [説教全文]

ローマの信徒への手紙518

 

そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。(新共同訳)

 

先週の水曜日の夜、中村の母が亡くなりました。89歳でした。義母は、少し変わっている人でした。中村と結婚が決まって、初めて挨拶に所沢の実家に行った時のことです。わたしは緊張して、ネクタイまで絞めて、玄関の戸を開けると、義母の開口一番の言葉が、「お風呂に入りなさい」という言葉でした。わたしは戸惑いましたが、いやおうなくふろに入り、挨拶のタイミングが外れ、結局、挨拶せずにそのままに終わりました。また、年に一・二度中村の実家に帰省していたのですが、義母が信仰告白を書いたのを読んでくれたことがありました。義母は、バプテストは受けていませんでしたが、若い時からキリスト教に興味があったらしく、続きませんでしたが、近くの教会にも足を運んでいたことがあったようです。この義母のことを思うたびに、世の中には、キリスト教に関心があっても教会に足を運べないでいる人が多くいるのではないかと思わされます。

世界の人口が、現在80億人くらいだと言われていますが、その4分の1くらいの人がキリスト教徒だと言われています。日本では、百人に一人、二百人に一人の割合でしかキリスト教徒はいないと言われていますが、案外、教会には通っていなくてもキリスト教に関心がある人は多いのではないかと義母のことを思うと思わされています。一昔前は、キリスト教の本場であった西洋も世俗化と言って伝統的な教会に足を運ぶ人が少なくなってきているようですが、宗教やキリスト教に全くの無関心であるというわけでもなさそうです。どのようにしてキリスト教会の魅力、信仰の仲間がいるというその魅力をキリスト教に関心がある人達に伝えることができるのかが、私たちには問われているように思います。

さて、パウロが伝道活動をしていた時代も、パウロが伝道活動をしていた地中海世界は圧倒的な他宗教の、キリスト信徒以外の人たちの世界でした。それこそ、地中海世界で、イエスがされたたとえ話にあるようにからし種のように小さな存在だったのだと思います。パウロは、三回に渡って大きな伝道旅行を地中海世界で行っていますが、小さなからし種をまくような伝道活動だったのだと思います。

ローマのキリスト信徒の集まりもそのような小さなからし種のような集まりだったのだと思います。そのような小さなキリスト信徒の集まりに対して、パウロは、自らの思いを手紙に託して次のように言っています。「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」(ローマの信徒への手紙110節以下)。

ローマのキリスト信徒とパウロが「互いに持っている信仰によって、励まし合いたい」と言っているように、ローマのキリスト信徒も読んでいた旧約聖書の物語であるアブラハム物語や失楽園の物語を例にとってパウロはローマのキリスト信徒を励ます言葉を綴ります。失楽園の物語、神から禁じられていた禁断の木の実を食べたことによって死が入り込んできたこと、しかし、キリストによって命が取り戻されて罪から解放されて、死ななければならないという人間の運命から解放されたことをパウロは語ります。

パウロは、なぜ、多くの苦労をして、苦難の道である伝道活動をしたのか、そのことが私の心の思いから離れないのですが、復活のイエスに幻のうちにであったパウロは、明らかにそれまでと違った生き方をして、イエスがキリストであると言うことを公に宣べ伝えた人でした。

世の中には多くの宗教があり、また、世界の半分の人たちが無宗教であると言われている現代において、私たちがイエスをキリストと告白する者として教会の礼拝に集うということを行っているのは、一人一人が神に選ばれたものとして神の導きの下にあるからだと思います。

(柴田良和)


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イエス・キリストを通して生きる [説教全文]

ローマの信徒への手紙517

 

一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。(新共同訳)

 

ローマの信徒への手紙は、パウロが未だ出会っていないローマのキリスト信徒に宛てた手紙です。最初期のキリスト信徒は、イエスが十字架に架かられ死なれたから復活されたことを弟子たちも含め多くの人たちが伝えたことから始まりました。イエスが復活されたことの証言はエルサレムにいた弟子たちから始まったのですが、そのような弟子たちの活動に対してエルサレムの権力者たちは面白くないこととして、弟子たちを迫害し始めたのでした。迫害されたキリスト信徒たちは、エルサレムから逃れイスラエル中、また地中海世界に散らばって行ったのでした。

なぜ、最初期のキリスト信徒の人たちは、増えていったのか。興味あるところですが、その一つは、イエスがキリストであることすなわち自分たちの現実から救ってくださる方であることを信じていったからだと思います。そのイエスが復活された多ことを信じると言うことは、まさに神が共にいて下さっていると信じると言うことです。

喜ばしい訪れと言う意味の福音と言う言葉は、今では世間一般でも時々耳にする言葉ですが、キリスト教において特に使われる言葉です。この福音と言う言葉に関して、神学部の学生だった頃、ある先生から言われた言葉を時々思い起こします。それは、福音の核心は、神が共にいて下さっていると言うことを信じるかどうかにかかっているというものです。どのような時にも、どのような人にも、そこに信じるということがらが起こされているのであれば、神が共にいて下さっているという喜ばしいおとずれを受け取ることができるのだと思います。

最初期のキリスト信徒が、イエスが復活されたことを人々に伝えていくと言うことは、神を利用していた権力者たちにとっては都合の悪いものでした。今日の言葉で言えば、宗教利用をすると言うことです。戦中の日本がどのような形で宗教利用をし、多くの人々が悲惨な目に遭ったのかを考えてみれば、明らかです。

神は何か特権階級の人たちだけの神ではなく、すべての人の神であると言うこと、そのことを示されたのが十字架に架かられるまで生きられたイエスの生涯でした。いわば、パウロはその神が共にいて下さっていると言うことを信じ、イエスをキリストと信じ、そのキリストにおいて福音を伝えようとしたのがパウロだったのだと思います。

神が共にいて下さっている。その福音を伝えるために、ただそのことを伝えるためにパウロは、口に言えないほどの苦難に会ったことがパウロの手紙には書かれています。「鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」(コリントの信徒への手紙二1125節以下)。

なぜ、これほどまでの苦難に会い苦労をしてまでパウロは福音を伝えずにはいられなかったのか。その気持ちは、はかり知ることはなかなかできませんが、しかし、このパウロの福音を伝えずにはいられないという思いが、地中海世界へと広まり、そして、もうすでにキリストの福音が伝えられていたローマの信徒たち出会うことを期待しながら、ローマの信徒への手紙と言う長い手紙を情熱的にパウロは書き送ったのでした。

神、我らとともに言います。その福音を信じながら、共にいて下さっている神の守りと導きを信じながら、時にどのようなことが起こって来るのかわからない人生を、残された人生を、神にゆだねながら歩んでいければと思います。

(柴田良和)

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