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平和 [説教全文]

 

ローマの信徒への手紙1419

 

だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。(新共同訳)

 

クリスマスおめでとうございます。先週の金曜日ですが、大阪では雪が降りました。クリスマスらしい雰囲気だなぁと思いつつも、そのようなのんきな気分ではいられない方たちが日本の各地でおられるようです。例年にない大雪に見舞われている地方が多くあるようです。停電も起こっているようです。積雪のために犠牲になられた方もおられるようです。安全が守られ、生活が守られますように祈ってまいりたいと思います

ところで、クリスマスに雪のイメージがあるのは、キリスト教が北半球であるヨーロッパから広まっていったからなのだろうと思います。サンタクロースはトナカイに曳かれた雪ソリに乗ってやって来るというイメージがありますし、クリスマスを制定したヨーロッパの教会は12月ですので雪が降っていたのでしょう。しかし、聖書を読んでみるとイエスが誕生されたことが物語られている誕生物語には雪のことは一切書かれていません。やはり、クリスマスに雪と言うのは大分と後の時代になってからのイメージなのです。何でも、ちょっと調べてみると南半球では、夏ですから、サーフィンに乗ったサンタがやって来るそうです。所変われば何とやらというのでようか。

私がキリスト教徒になったのは二十歳の時ですから、もう四十回以上の教会でのクリスマスを迎えているのですが、それなりに楽しいクリスマスはありましたが、クリスマスの本当のところを抑えているか、理解しているかというと何だか怪しい気もします。そもそもなぜ、クリスマスになるとキリスト教徒は、「おめでとう」なのでしょうか。一人の赤ん坊が生まれたと言うことですからめでたいことには違いないのですが、それだけのことなのでしょうか。

ローマの信徒への手紙を書いたパウロは、イエスが誕生されたことは、現在残されている文書の中では書いていません。パウロがイエスと出会ったのは、しかも復活されたイエスと出会ったのは、ユダヤ教徒であったパウロがキリスト信徒の生き方がゆるせないと思い迫害されていたキリスト信徒を逮捕するために追いかけていた途中でした。みじめに迫害されて逃げまどっているキリスト信徒を追いかけている途中、パウロは幻を見て、「なぜ、私を迫害するのか」という復活のイエスの声を聞いたことが使徒言行録に書かれています。この時からパウロの生き方が変えられたのだと思います。

何がパウロの中で変えられたのかと言うとユダヤ教で厳格に守られていた神から与えられたと信じられていた律法を含むユダヤ教の掟を守ることによって立派な人間になる、つまり、神に近づこうとすると言うことから、イエス・キリストによって神が近づいてくださっていることを受け入れる生き方、神に人生のすべてをゆだねる生き方へと変えられたのだと言うことだと思います。百人居れば百人のパウロのイメージがあると思いますが、私が聖書を読んで感じているのは、パウロと言う人は融通が利かない堅物のイメージがあります。ユダヤ教の律法に対する考え方も律法を守るために人がいるのであって、人のために律法があるなどとは思ってもいなかったのではないかと思います。しかし、パウロは変えられました。律法はあくまでも養育係、人間のためにあるものだとはっきりとパウロは言っています。キリスト居信徒を迫害していたくらいですからパウロはキリスト信徒になりたいとは思ってもみなかったでしょう。しかし、キリスト、イエスの方から否応なくパウロは自分の生き方を変えられるような出会いをしたのだと思います。私たち人間の側から何かをしたからというのではなく、神の側から私たちのところへ来てくださった。それが、クリスマスが「めでたい」と言うことなのだと思います。

(柴田良和)


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羊飼いの賛美 [説教全文]

ルカによる福音書2821

 

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

(新共同訳)

 

おはようございます。アドベントも最終週の第4週を迎えました。来週はいよいよクリスマス礼拝です。残りのしばしの時、クリスマスを楽しみに待ちたいものです。以前お話しましたが、アドベントとはアドベンチャー、わくわくするという言葉とは語源が同じものです。

童心に帰って、クリスマスが来るのを楽しみに過ごしたいものです。イエスさまをもう一度、心の中にお迎えする時を迎えましょう。

さて、今日のクリスマス物語は、羊飼いたちのお話です。羊飼いはその晩、野宿をして一晩中羊の群れの番をしていたと聖書は語っています。ここで一つ、重大な問題が発生します。北半球にあるイスラエルの荒れ野は、クリスマスにあたる12月後半は、夜は大変に寒く、氷点下45度にまで冷え込むのだそうです。今、日本でも寒波が襲来していますが、それでも大阪では氷点下になることは珍しいです。わたしは前の平野教会で野宿者支援の活動に参加していましたが、氷点下45度の空の下、野宿をすることはできません。凍死してしまうからです。平野の野宿者は寒さの厳しい時には、西成にある簡易宿泊所、いわゆる「ドヤ」に泊まって過ごします。

羊飼いたちが野宿で羊の番をするのは、夏の間だけです。イエスさまがお生まれになったのは、12月であるとは、聖書の中にはどこにも書いてありません。羊飼いたちの野宿している時期だとして、空に大きな星が輝いたのは、学者の説によると紀元前4年の6月ごろだということです。せっかく12月のクリスマスを楽しみにしていたのに、がっかりさせてしまう事実ですが、確かに12月には寒すぎて野宿はできないのです。1225日のクリスマスをイエスさまの誕生日として祝うよりはむしろ、イエスさまが神さまのもとからこの世に来てくださったことを記念する時として祝う方がよいかもしれません。とにかく、メシヤがわたしたちの所に来られたということをしっかり心に刻みたいと思います。

それでも、羊飼いたちが野宿をしていないと、このお話は成立しないのです。野宿しながら空を見上げると、空から天使が下りてきたのでした。昔は、天使や神さま的なものを直接見ると、死んでしまうと言われていましたから、羊飼いたちは非常に恐れたのでした。自分たちはもうだめだ、死んでしまう、と思ったのでしょう。

しかし、天使は羊飼いたちに「恐れるな」と言って励ましました。天使は羊飼いたちにすばらしい知らせを伝えにきたのでした。それはこんな知らせでした。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。羊飼いたちは、ルカ福音書によると、この世で一最初に、みどり子のイエスさまにお会いしたラッキーな人たちだったわけです。

ルカ福音書は、この日、皇帝アウグストゥスの命令で、人口調査のためにそれぞれが生まれた町に行き、人口登録をしなければならなかった様子を描いています。しかし、羊飼いたちはその人口登録に参加できませんでした。というのも、この羊飼いたちはイスラエルの人口に数えられることがなかったからです。一人の人として数えられない、身分の低い者、へブル語で「アム・ハ・アレツ(地の民)」と呼ばれて差別をされていた羊飼いたちでした。でも、神さまはこの小さくされた民に、一番、最初に、メシアの誕生を知らせて下さったのです。

ルカによる福音書のテーマは「いと小さき者」です。羊飼いのように、世の中で小さくされた人々がいます。羊飼いや、取税人など職業で差別をされている人々もいれば、病気や障碍などで人として数えられなかった人もいます。イエスさまはそういう、いと小さき者のためにこの世に降り、大工の子として育ち、病気の人々に触れて癒し、差別から解放されたのです。

神さまから遣わされた天使は、羊飼いたちに、メシアがどのように過ごしているのかをヒントにして語りました。その乳飲み子は、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝ている。これが羊飼いたちへのしるしであると天使は伝えました。当時の様子を調べると、赤ん坊は危険を避けるために、太い包帯のようなものでぐるぐる巻きにして、寝床に寝かされていたそうです。イエスさまは飼い葉桶に寝かされていたのですが、家畜小屋の中に、使っていない飼い葉おけがあったのでしょうか。それに渇いた藁を敷いて、その上にイエスさまを寝かしたのです。機転を利かせて、いいことを思いついたものだと思います。

さて、羊飼いたちが天使の話を聞いていると、この大きな天使の周りに多くの天使たちが現れ、讃美をしました。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」。空はその時、天使たちの放つ光と、星の光で、いつになく明るく照らされていたことと思います。羊飼いたちはその様子を、息をのんで眺めたことでしょう。天使の賛美の声はどんなにか美しいものだったでしょう。想像するだけでもドキドキします。

天使の賛美が聞こえなくなったあと、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言って、おそらく羊を連れてベツレヘムへ向かったのではないでしょうか。彼らは早く救い主に会いたいと思って、急いでベツレヘムに向かい、到着しました。そこにはマリアとヨセフ、そして、飼い葉桶に寝かされた乳飲み子のイエスさまがいました。

羊飼いたちは、ベツレヘムにいた町の人たちに、天使が語って聞かせたことを知らせました。町の人々はそのことを不思議がるだけで、信じる様子はありませんでした。しかし、マリアは羊飼いたちの話していることや、今までの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしたのです。マリアはこの時に至っても、まだイエスさまの誕生の出来事が、一体どんな意味を持つのか、よくわからないでいたのだと思います。何しろまだ145歳の少女だったと言われますから。一つ、また一つと、出来事を心に納め、それを思い巡らせながら、イエスさまが神さまから送られた救い主であることを知るようになるのです。

羊飼いたちはその後、見聞きしたことが、すべて天使が話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら荒れ野に帰って行きます。メシアがお生まれになった、このうれしい出来事に最初に居合わせたことを、羊飼いたちは喜んで歌を歌いながら荒れ野に戻ったのです。ひょっとすると、クリスマスの夜に行われるキャロリングは、この羊飼いたちの賛美から始まったのではないかと思います。この時、羊飼いがどんな歌を歌ったのか、聖書には書いてはありませんが、想像すると、荒れ野の空に響く美しい歌声が聞こえてくるように思います。

ルカの福音書はこうして、イエスさま家族と羊飼いたちの出会いを書き残しています。そして8日の間、家畜小屋に滞在したのでしょう。8日たって、割礼の日を迎えました。幼子はイエスと名付けられました。イエスという名前はギリシャ語読みで、へブル語だとヨシュアになります。イエスというのは「神が救う」という、イエスさまにピッタリの名前ですが、実際のところは、日本の太朗や二郎のように、どこにでもいる、ありふれた名前だそうです。天使がルカ福音書ではマリアに、マタイ福音書ではヨセフに、「その子をイエスと名付けなさい」と告げた、その言葉に従ってつけられた名前です。

このように、羊飼いたちを巻き込んで、イエスさまの誕生を書き表したのがルカによる福音書です。いと小さき者である羊飼いたちが、いと小さき町、人口100人と言われたベツレヘムに向かって、いと小さき乙女マリアの生んだいと小さき乳飲み子イエスさまに出会う…。イエスさまの誕生の物語は、いと小さき者の物語になっています。

  わたしたち一人一人も、決して偉大なる者ではないと思います。神さまの目にはいと小さき者です。でも、いと小さき者を愛しんで、その罪の赦しのために独り子を送り、わたしたちを救い出してくださったのです。わたしたちも羊飼いたちのように、声を合わせ、イエスさまのご降誕の喜びを賛美しようではありませんか。

(中村尚子)

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信頼 [説教全文]

ローマの信徒への手紙1418

 

このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人に信頼されます。(新共同訳)

 

教会の暦では、今は、降誕節と言われて、キリストの誕生を待ち望む時期です。クリスマスは、世間ではイエス・キリストの誕生日だと思われている節もありますが違います。福音書には、イエスの誕生物語が、マタイによる福音書とルカによる福音書にありますが、新約聖書のどこを探してもイエスの誕生を祝った誕生日のことは書かれていません。クリスマスという言葉も、英語ですが、意味はキリストのミサ、つまり日本語に直すと救い主の礼拝ということになるのでしょうか。4世紀のキリスト教会が教会会議で、キリストの誕生を記念して祝う日として12月25日にクリスマスが定められたようです。降誕節の降誕という言葉もキリスト教用語なのでしょう。普通人が生まれることを降誕とは言わずに生誕といいます。降誕という言葉には神の下から人間のところへとキリスト、救い主が下ってこられたと言う信仰告白が言い表されているのだと思います。

イギリスの小説家にディケンズという人がいますが、その人の小説に「クリスマスカロル」という物語があります。有名な小説ですので知っておられる方も多いと思います。その小説のセリフの中で、クリスマスというのは何となく楽しくなり嬉しくなる日だというようなことを言っていました。クリスマスカロルは、ハッピーエンドなのですが、私が知っているクリスマスにまつわる物語は、悲しい物語が多いです。マッチ売りの少女、人形姫、フランダースの犬・・・。これらの物語に共通しているのは、世の中で小さくされているもの弱くされているものに目を向けると言うことではないでしょうか。マタイによる福音書では、幼子イエスだけではなく、幼児が虐殺されるという悲惨な出来事が物語られることによって、世の中の小さな者たちに目を向けることを私たちに促しているのだと感じます。

そうであるが故にであるか、どうかは分かりませんが、クリスマスになると子供の頃は何となく嬉しい気持ちになっていたように思います。今でこそ、ケーキは珍しいものではなく年がら年中食べることができますが、私が子供の頃はケーキを食べることができるのは、クリスマスの時くらいでした。その当時は、私の家族はキリスト教徒ではありませんでしたが、いわゆる母がクリスマス商戦に乗せられてケーキを食べることができたのでした。私が子供の頃住んでいた家は、鳥居が立っているすぐ近くの長屋に住んでいました。五十メートルほど歩くと神社がありました。年末年始は、私の家族は宗教のオンパレードでした。クリスマスに始まって、と言っても教会にはいきませんでしたが、ケーキを食べられる日くらいに思っていましたが、大みそかには近くの神社で初もうでをし、大みそかの臨時列車に乗って、道明寺にまで足を延ばしてお参りをしていました。その臨時列車が真夜中であるにもかかわらず満員であったのを覚えています。最近は、クリスマスだからと言って、ケーキを食べなくなっているのではないかと思います。ケーキが好きなのは子供です。何でも、核家族化のせいか、子供の出生率が少なくなったせいか、こどもがいる世帯は全世帯の二割だそうです。年配の方は、クリスマスにケーキを買って食べるという習慣は持っておられないだろうし、クリスマスにあまり関心を持っておられないのではないでしょうか。

パウロ、今日の個所のローマの信徒への手紙を書いたパウロもクリスマスを知らなかったのだと思います。パウロが生きていた時代よりも大分と後に、マタイによる福音書とルカによる福音書ができていますし、パウロがイエスの生誕物語を知っていた節が見当たりません。しかし。クリスマスにとって基本的な事、大切な事をパウロまたきちんと押さえていたのではないかと思います。それは、世の中の小さな者に目を向けると言うことです。そしてそのように人間を信頼されていると言うことです。普通、人は、この人に何を言っても無駄だと見切った時、その人と極力関わろうとはしません。それが人情です。しかし、神は、繰り返し、繰り返し人間に預言者を通して立ち戻るように働きかけられたにもかかわらず、立ち戻ろうとはしませんでした。

幼児虐殺という悲惨な出来事が、現代にいたるまで繰り返し起こされています。しかし、そのような人間の真っただ中にまさにヨハネによる福音書が言っているように、人間への言葉としてイエスが送られてきたのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネによる福音書316節)

私たち人間が神に信頼するのは、できるのは、神がまず私たち人間を信頼して下さっていることに気づくからだと思います。世の中の小さなものに目を向けて行く、そのことを思い起こしながらクリスマスまでの時を過ごしてまいりたいと思います。

(柴田良和)


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昔の敵は今の友 [説教全文]

マタイによる福音書2章1~12

 

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

『ユダの地、ベツレヘムよ、

お前はユダの指導者たちの中で

決していちばん小さいものではない。

お前から指導者が現れ、

わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。

そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 

おはようございます。アドベント、待降節2週目の主の日を迎えています。アドベントというのは、アドベンチャーという言葉とつながりのある言葉で、「わくわくしながら待つ」という意味があるようです。小さな子どもたちがアドベント・カレンダーを一日ずつあけて、「あと何週間」「あと何日」と楽しみにしている、そのような気持ちで、アドベントをすごしていくのです。

先週からアドベントがはじまりましたが、先週はエレミヤ書を学びました。今週、再来週は、クリスマスの物語を学んでいきたいと思いますが、特に今週のお話はエレミヤの時代、バビロン捕囚のことと深いつながりがあるので、エレミヤ書を思い出しながら聞いていただきたいと思います。

イエスさまがお生まれになったのは、ヘロデ王の時代、場所はユダヤの小さな村ベツレヘムでした。バビロン捕囚でユダヤ人たちが捕虜になっていた時代から600年ほど後の時代です。

イエスさまがお生まれになった頃、東の国、ちょうど昔バビロニア帝国があったあたりに住んでいた占星術、星占いの研究をしていた博士たちがエルサレムに向かって旅をしていました。昔、ユダヤ人たちがバビロニアに住んでいた頃から、星に関する言い伝えがありました。西の空に大きな星が現れたとき、それはユダヤに新しい、偉大な王が生まれる、という預言でした。そして、ユダヤ人たちがバビロンから解放されてエルサレムに帰った後、600年もその言い伝えが、書物などによって言い伝えられていたのです。ユダヤ人たちの方は、その言い伝えを忘れたのか、もうその言い伝えが途絶えてしまったのか、知らないぐらいでした。でも、占星術の博士たちは、そのことの書いてある書物を読んで、大きな星が出たのであわてて荒れ野を旅してきたのでした。

ところが、博士たちはてっきり、新しい王はエルサレムの宮殿に生まれたのだと思って、ヘロデのいる宮殿にまず向かいました。そして博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになられた方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と尋ねたからさあ大変。ヘロデ王はこの知らせに大変不安になりました。ヘロデ王の家来たちも同じように恐れました。ヘロデ王に代わって王となる赤ん坊が生まれたというのですから。

そこで、ヘロデはユダヤの国内の祭司長たちや律法学者たちを緊急招集しました。そして、メシヤがどこに生まれることになっているのか問いただしました。彼らは旧約聖書のミカ書を引いて、ユダヤのベツレヘムだと答えました。ミカはこう預言していました。「ユダの地ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決して一番小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」。ベツレヘムは実のところ、人口千人ぐらいの小さな田舎町で、大都会のエルサレムと違って、そんな偉い人が生まれるとは考えられていませんでした。でも、確かにミカが預言をしているのはその田舎のベツレヘムのことだったのです。

ヘロデはその後、先ほどやってきた東の国の博士たちを呼び寄せ、いつごろその大きな星が現れたのかを聞きました。そして、博士たちに「行ってその子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って、拝もう」とヘロデは言いました。拝むなどと言っていますが、本当は殺してしまいたいと思っていたヘロデです。自分の王の地位が危ぶまれるのですから、そんな者は殺してしまえと思っていたのです。余談ですが、昔、わたしが所沢教会の教会学校の小学科の生徒だったとき、クリスマスにページェント、聖劇を毎年していました。もちろん、今日の聖書の場面も出てきますが、子どもの間でヘロデの人気が全然なかったので、仕方なしに牧師がヘロデの役をしてくださいました。そのヘロデがあまりに憎々しいので、腹立たしいのを通り越して大笑いになってしまったのが懐かしいです。

さて、大きな星は博士たちをゆっくり北西の方角へ導いていきました。この大きな星は、天文学者が調べたところによると、紀元前4年に現れた、ハレー彗星のような彗星だったのではないかということで、だとすると、イエスさまは紀元前4年生まれということになります。博士たちは、きらびやかな宮殿にメシヤが生まれるものだと思っていたでしょうが、星が導くところは、畑や、家畜を飼っている農家以外、何もないようなど田舎です。不思議に思って星を追いかけていると、星は1軒の家畜小屋の上に止まりました。博士たちは喜びにあふれ、「よかった、星が止まったからここや」と言って家畜小屋に入っていきました。

家畜小屋に入ってみると、赤ちゃんイエスさまは、母親のマリアと一緒におられました。博士たちはひれ伏してイエスさまを拝み、携えてきた宝の箱をあけて、黄金(王の権威の象徴)、乳香(良い香りを放つ祝いの品)、没薬(痛み止めや死体処理の薬)をささげました。ここで、黄金や乳香は贈り物にふさわしいものと思えますけれど、没薬は赤ちゃんに献げるには少し不吉なものに思われます。しかし、よく考えると、ここから30数年後、イエスさまは十字架にかかって亡くなります。手足に釘を刺され、血を流されます。痛み止めの薬でもある没薬は、実は黄金や乳香よりむしろ、イエスさまにふさわしい献げものだったのではないでしょうか。

それにしても、その昔、バビロニアとの戦争に負けてひれ伏していたのは、ユダヤ人の方でした。それが逆に、バビロンからやってきた博士が、ユダヤ人であるイエスさまに対してひれ伏して拝み、献げものを差し出すようになるとは、なんとも不思議なことです。バビロニアに捕虜として滞在した人々から、新しい王、メシヤが生まれるという言い伝えを聞いて、それを大事に記録に残しているのも、不思議なことです。まるで、「昔の敵は今の友」とでも言いましょうか。戦争をして激しく対立をしたユダヤとバビロニアがここで和解をしているのは、大変うれしい出来事ではないでしょうか。平和の訪れを感じる出来事がここに記されています。

そして、先週のお話にも出てきましたが、その夜はもう遅かったので、博士たちもイエスさまと共に家畜小屋に宿ったのです。眠っている間に、博士のひとりは夢を見ました。夢の中で「ヘロデのところへ帰るな」というお告げがあったのです。博士たちは、ヘロデから、幼子の居場所が分かったら知らせてほしい。わたしも拝みに行くから」と言われました。博士たちは朝起きると、心が騒いで、ヘロデのもとに戻らずに、バビロンへと帰っていきました。その後、ヘロデがイエスさまの命を狙っていることを天使から聞いたヨセフは、家族でエジプトに逃れます。その後、ユダヤの2歳以下の男の子は、ヘロデの命令で皆殺しにあうのです。博士たちがヘロデにイエスさまの居場所を伝えなかったため、イエスさまと家族とは命を守られました。

ユダヤ人がもし、バビロン捕囚にあっていなかったら、イエスさまも殺されていたかもしれません。ユダヤ人の言い伝えや星占いが信じられていなかったら、イエスさまは博士たちに出会うことができなかったでしょう。神さまのなさることは不思議なことばかりですが、こうやって、600年もの長い歴史の中で、メシヤであるイエスさまが生まれ、命を守られる準備がなされていたとは、すごい奇跡だと思います。イエスさま誕生の晩、ユダヤ人とバビロン人の小さな和解の物語が起き、昔の敵が今の友となりました。

今、わたしたちの地球上で、あちこちで戦争や紛争が起こっていますが、神さまの願いは、そういった敵と味方が和解をし、平和な世の中になることなのではないでしょうか。昔の敵は今の友となりますよう祈りたいと思います。

(中村尚子)


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