SSブログ

約束の確証 [説教全文]

ローマの信徒への手紙158

 

わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、(新共同訳)

 

ローマへの信徒への手紙を書いた人はパウロです。パウロは、当時、古代ローマ帝国が支配していた地中海世界で(伝道)活動をした人です。ローマは古代ローマ帝国の首都でした。今でこそローマはカトリックの本拠地としてありますが当時は、キリスト信徒の一つの集まりの地にすぎませんでした。パウロは、伝道旅行の途中で、いつのことからかは分かりませんが、ローマにキリスト信徒の集まりがあることを知り、ローマを訪問したいと願っていたのでした。訪問に先立って、パウロはローマへ手紙を書きました。それが、ローマの信徒への手紙です。

キリスト教は、ユダヤ教の土台の上に成り立っています。そもそもイエスもユダヤ人でしたし、パウロもユダヤ人です。ユダヤ教の教典は、今では学問的にはヘブル語聖書と呼ばれることが多いようですが、旧約聖書です。当時のローマのキリスト信徒の集まりでも旧約聖書が教典として読まれていました。旧約聖書の中には、イスラエルの民と神との関係の物語、歴史が書かれています。そのイスラエルの民、人と神との関係の物語、歴史が書かれている旧約聖書の一つのキーワードが、約束、あるいは契約です。

神は人との関係を人が約束に生きる存在として置かれました。しかし、人は神との約束に生きることができませんでした。その典型が神話的に物語られている最初の人であるアダムの物語です。神との約束の中で、なに不自由なく暮らしていたアダムとその妻エヴァでしたが、神が食べてはならないと約束した禁断の実を食べたのでした。この物語がキリスト教で呼ばれる原罪の根拠となっているのかどうかは分かりませんが、この物語を語り聞いた人々の現実も現在の私たちと同じように厳しく辛い現実だったのでしょう。それゆえ、この物語を聞いた人々は、この物語で厳しく辛いこの世での現実の意味を納得したのではないかと思います。アダムの物語のほかにも、バベルの塔、ノアの箱舟、モーセの律法と言った神との関係を壊す人間の悪の現実とその人間を救い出そうとされる神の物語が旧約聖書には書かれています。

大阪の梅雨明けはまだのようですが、梅雨が明けると本格的に暑い季節が訪れます。夏になると入道雲が現れ夕立が降り、その後、虹が現れます。ノアの箱舟の物語に物語れているようにイスラエルの人々は、この虹を見るたびに、どんなに人間が悪に染まろうとも滅ぼすことをしないという約束、契約の希望のしるしを見ていたのだと思います。くりかえし神との約束の関係を破り悪に走る人間を救い出そうと神は救いの手を差し伸べられます。そして、人間の悪の現実に対して救いの確証として人間に与えられたのが、イエス・キリストです。

イエスは、ほとんどイスラエルの中でしか活動されませんでしたが、それは、必ず人間の悪の現実から救い出すというイスラエルの先祖たちとの約束を果たすためその確かな証拠としてこの世で活動されたのだとパウロは信仰告白しているのだと思います。イエスをキリスト、私たちの悪の現実から救い出してくださる救い主だと信じる信仰に生きる者としてくださいますように祈ってまいりたいと思います。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントの信徒への手紙一619節以下)

(柴田良和)


<教会ホームページ>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

受け入れる [説教全文]

ローマの信徒への手紙157

 

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(新共同訳)

 

この教会で牧師として働かせていただいたとき、まだ、生活の拠点は平野でした。週二回、礼拝と祈祷会の日は教会に通っていました。JRのおおさか東線で新加美から河内永和で近鉄に乗り換えて河内花園まで来ていました。その当時は、まだ、おおさか東線は開通して日が立っていなかったので、そんなに混んでいませんでした。あれから十数年、最近まで八尾の久宝寺から新大阪までだったおおさか東線も最近大阪まで行けるようになりました。月に一回通院で新大阪を通るのですが、おおさか東線も利用者が増えて、特にキャリヤバックを持った旅行者を多く見かけます。外国人の方も結構見かけます。人間はなぜ旅行が好きなのでしょうか。

私は、子供の時から旅行があまり好きではありませんでした。遠足や林間学校、修学旅行で楽しかった覚えがありません。今は、そうではありませんが、なぜわざわざ遠いところに出かけるのか、しかもしんどい思いをして出かけるのかが分かりませんでした。確かに日常から離れることによって気分転換にはなるのでしょうが。

さて、ローマの信徒への手紙を書いたパウロは、大きな旅行をした人でした。しかも一度ならず三回、ローマ行きへの旅行も含めれば四回の旅行をした人です。勿論、ローマ行きの護送された旅行を除けば三回の旅行は、キリストの福音を伝えるという、観光旅行ではなく、はっきりとした目的があったわけですが。古代ローマ帝国が支配していた地中海世界は、相当広い範囲のパウロの旅行だったと思われます。現代のように自動車も電車も飛行機もない時代です。交通手段は、徒歩と船だけです。苦労の多い旅だったのだと思います。

何故パウロはそこまでして、旅行をしたのでしょうか。パウロはそんなに体が丈夫であるというわけではありませんでした。具体的には何の病気かは分かりませんが、自分にはトゲが与えられていると言うことを自覚していたようです(コリントの信徒への手紙二127節)。また、直接会った人々の中にはパウロは、弱々しい風体であったとの感想を持っていた人たちもいたようです。晩年には、目も弱っていたようで大きな字を書いて手紙を書き送ったと言うことも書かれています。いずれにしても自分に起こってきている出来事を運命として、しかも神からの導きとしての運命として受け入れることができた人なのではないかと思うのです。

パウロにこのような言葉があります。「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリントの信徒への手紙二128節)

自分の弱さを誇ると言うことは、どのような自分であれ自分を受け容れると言うことです。現在の自分がどのような状況に立たされていようと、そこに神の導きがあると言うことを信じて、どのような自分であれ受け入れて行こうとすると言うことです。そのように自分が受け入れられる時、周りの人たちのことが分かり、周りの人たちの、目の前の相手の弱さもまた受け入れることができるのではないでしょうか。

パウロは言います。「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」

(柴田良和)


<教会ホームページ>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

神をたたえよ [説教全文]

ローマの信徒への手紙/ 15 06

 

心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。(新共同訳)

 

大阪も梅雨入りしたようで、雨が降る日が多い季節になってきました。雨と言えば聖書では、神の恵みとして書かれています。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイによる福音書545節)現代の科学では、雨がどのようにして降るのかを説明できます。しかし、雨を降らせたり、太陽を登らせられたり、といった自然を左右するような科学技術を人間は持っていません。雨が降れば傘をさして出かけなければなりません。雨が降れば作物が育って行くのです。雨が降る仕組みを頭でわかっていても、肌感覚でその不思議さを感じることがあるのではないでしょうか。いつの頃だったかは覚えていませんが、子供の時、当時住んでいた家の縁側に座り、雨音を聞き、一日中雨を眺めていたのを覚えています。なぜだかわかりませんがその時の光景が、今でも時々思い出して頭の中をよぎります。科学がどれだけ進歩しても自然を造り出すことはできないのです。そういった意味では人間もまた、自然の一部として、造られたものとして、被造物として存在しているのです。そして、キリスト信徒は、人間も含め自然が神に造られたものとしてあるということを忘れてはならないのだと思います。

私たちは、なぜ、この現世に生まれたのかを知りません。気が付けば、この世の人生が始まっていました。この時代、この土地になぜ生まれたのかも知りません。しかし、被造物である人間には、いや、キリスト信徒にとっては、神の導きであり、そこには何か意味があるものと信じていくことができるのです。そういった意味では、同じ時代に生きる仲間として、すべての人を見て行くという信仰が、神の導きを信じることによって与えられていくのではないでしょうか。

さて、ローマの信徒への手紙を説教では読み進んできています。ローマの信徒への手紙の書き手であるパウロは、ユダヤ人でしたが、ユダヤ人以外の人たち、つまり、ユダヤ人からは異邦人と呼ばれた人たちにキリストの福音を伝える伝道者として活動しました。異邦人伝道者パウロと呼ばれる所以です。なぜ、パウロが異邦人にキリストの福音を伝えようと思ったのかは不明ですが、メシアつまりキリスト、救い主の信仰が、イスラエルの中だけにとどまらず、全世界、大袈裟に言えば、全人類のための福音であることをどこかでパウロは確信していたからなのだと思います。

伝道者パウロは、古代ローマ帝国が支配する地中海世界で活動した人です。大きな伝道旅行を三回もした人です。そしてそこにはそれこそ様々な神々が信じられていました。そこでは、動物の犠牲の祭儀が行われていました。パウロが手紙を送ったローマも例外ではありませんでした。ローマでも犠牲の祭儀が行われ、その肉を人々は食べていたのでした。しかし、ローマに住んでいたユダヤ教徒は食べることができませんでした。なぜなら、自分たちの神以外の神々に供えられたものを食べると言うことは、偶像崇拝を肯定することになるからです。ローマのキリスト信徒の集まりには、ユダヤ教徒のものもおり、異邦人の人たちもいました。異邦人の人たちは神々に供えられた肉を食べることが気兼ねなく今までの習慣どおりにできましたが、ユダヤ教徒のキリスト信徒には肉を食べることができませんでした。そのような状況の中にあるローマのキリスト信徒の人達の集まりに、パウロは、お互いに配慮をするようにと繰り返し手紙の中で書き送ります。

お互いが、同じ時代に生きる仲間として、同じ土地に生きる仲間として、そして、同じ信仰に生きる仲間として、心を一つにして、思いを一つにして、キリストが生きられた生き方に学ぶようにとパウロは語ります。そして、私たちもまた、同じ時代を生きる仲間として、キリストが生きられた生き方に学び、神をほめたたえる生き方へと、招かれていきたいものです。

(柴田良和)


<教会ホームページ>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

同じ思い [説教全文]

ローマの信徒への手紙155

 

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、(新共同訳)

 

二千年前に生きられたイエスは十字架に架かられました。それまでイエスと寝食を共に生活をし、放浪の旅に従っていた仲間である弟子たちは逃げ去りました。仲間である弟子たちにとってイエスが十字架に架かられたことによって目の前の世界は灰色になったのだと思います。弟子たちにとって時には厳しく、時には楽しくイエスに教えられたこと、生活を通して教わったことすべてに色が亡くなったのだと思います。弟子たちにとってイエスに従ったことは無駄な事であり、無意味な事だったように思えたことでしょう。同時に、イエスが十字架に架かられたことの意味を自問自答しながら繰り返し思い返していたのだと思います。すべてが終わったと思っていた弟子たちに、女性も含むイエスと親しかった人たちの中から一人また一人とイエスがよみがえられたことを証言し始めたのでした。

パウロはイエスがよみがえられたことを次のように証言しています。「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(コリントの信徒への手紙一151節)

このパウロの証言は、最初期の弟子たちケファすなわちペトロなどからの伝承を受け継いで書かれたものだとされています。しかし、同時にパウロ自身も幻のうちに復活のイエスと出会って。その後の人生が変えられていったのです。

さて、イエスの仲間である弟子たちは、エルサレム神殿に集まって祈りをささげ、礼拝をしていました。すると不思議なことが弟子たちの中に起こりました。聖書には次のように書かれています。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。」(使徒言行録21節以下)後にペンテコステと呼ばれるようになった出来事の聖書の個所です。国も生まれも違う者同士の間で、言葉が通じるようになったという不思議な出来事です。仲間である弟子たちには、分かったのではないでしょうか。イエスが語られたこと、生活の中で教えて下さったことの意味が。以心伝心と言う言葉があますが、その意味は「言葉によらずに、互いの心から心に伝えること。言語では説明できない深遠・微妙な事柄を相手の心に伝えてわからせること。」です。この以心伝心と言う出来事が、ペンテコステで起こったのだと私は思います。そこには、イエスが共にいて下さっているという同じ思いがあったのではないでしょうか。

(柴田良和)


<教会ホームページ>
東大阪キリスト教会(日本バプテスト連盟) (fc2.com)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感